平成10年2月17日(火)~5月10日(日)
図1 板碑(関東型の典型板碑) |
板碑(いたび)は中世の時代に盛んに造られた、板状をした石製の供養塔(くようとう)です。お堂やほこらのなかに大切にまつられているのをご覧になった方も多いと思います。江戸時代以降の墓石とは異なり、石仏のひとつといえるでしょう。福岡市内には、現在40O基近くが知られていますが、その多くは玄武岩(げんぶがん)の自然石の板碑、砂岩(さがん)を成形した小型の板碑(関東型の板碑に類似)のふたつです。関東地方で見られる頭部が三角形に成形され、二条の線刻、額部の彫出がある緑泥片岩(りょくでいへんがん)製の板碑(図1)は見あたりません。
今回の展示では、13世紀から17世紀にかけて福岡市内で造られた、さまざまな板碑を紹介します。板碑が手近な文化財であり、また福岡の歴史を明らかにする上で、貴重な歴史資料であることを理解していただければ幸いです。
1 板碑に関する文献
現在福岡県の文化財に指定されている博多区の濡衣塚(ぬれぎぬづか)(図2・写真1)や大乗寺跡(だいじょうじあと)などの板碑は、すでに『筑前国続風土記』(貝原益軒、元禄16年・1703)や『筑前名所図会』(奥村玉蘭、文政4年・1821)など、江戸時代の地誌に紹介されている。その後、徐々に発見例が増加していくが、最近、福岡市教育委員会によって市内の板碑が網羅(もうら)的に調査され、報告書『福岡市の板碑』(平成4年・1992)が刊行され、ほぼその全容が明らかになった。
図2 濡衣塚板碑 |
(奥村玉蘭『筑前名所図会』より) |
1 濡衣塚板碑 |
(康永3年接待講衆銘(せったいこうしゅうめい) 博多区) |
2 さまざまな形の板碑
板碑にはどんな形のものがあるのだろうか。典型的な板碑とされる関東型の板碑は、福岡市内で造られた形跡はない。福岡市内でみられる多くの板碑は、自然石(玄武岩、一部は花崗岩(かこうがん)・凝灰岩(ぎょうかいがん)など)の板碑(写真2)、砂岩を成形した小型の板碑(写真3)のふたつである。その他、砂岩の小形の板碑を連結した連碑(れんび)型板碑(写真4)や額縁のような形に彫り込んだ額型(がくがた)の板碑、さらに珍しいところでは木碇(さいかり)用の碇石(いかりいし)をリサイクルした板碑などが見られる。
2 自然石板碑 |
(貞和7年銘 玄武岩 東区・宗栄寺) |
3 小型の成形板碑 |
(砂岩) |
4 連碑型板碑 |
(文明8年銘 砂岩 下部欠損) |
3 板碑に刻まれたもの
板碑には何が刻まれているのであろうか。阿弥陀如来(あみだにょらい)や地蔵菩薩(じぞうぼさつ)などの種子(しゅじ)(仏・菩薩などを表す梵字(ぼんじ))を、一尊(いっそん)や三尊(さんぞん)(写真5) の形で彫り付けたものが多い。また数は少ないが阿弥陀如来像や地蔵菩薩像を彫った板碑、五輪培(ごりんとう)、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)、「南無妙法蓮華経」の題目(だいもく)(写真6)、多くの人名を刻んだ講衆銘(こうしゅうめい)の板碑(写真1・7・8)などをあげることができる。なかには造立の目的(追善(ついぜん)・逆修(ぎゃくしゅ))や造立の年月日などを刻んだものも見られる。
(林 文理)
5 三尊種子彫板碑 |
(永正3年銘 博多区・西専寺) |
6 題目彫板碑 |
(文亀元年銘 博多区・東光院) |
7 大乗寺跡板碑 |
(康永4年銘 博多区) |
8 板付観音堂板碑 |
(玄武岩 博多区) |
9 市内最古の板碑 |
(正安4年銘 碇石転用型 博多区・香月家) |
10 市内最大級の板碑 |
(高さ226cm 東区・勝軍地蔵堂) |
11 市内最大級の板碑 |
(高さ221cm 南区・地禄神社) |