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No.132

黒田記念室

絵はがきの世界

平成10年8月25日(火)~10月25日(日)

昭和初期の絵はがきの袋
昭和初期の絵はがきの袋
大正時代の筥崎八幡宮
大正時代の筥崎八幡宮

 日本で、私製葉書の使用が許可され、絵はがきが使えるようになったのは、1900(明治33)年のことです。ちょうど写真を印刷する技術が普及した頃だったので、全国各地で絵はがきが発行され、手軽な土産として名所絵はがきも登場しました。日露戦争(1904~5)記念の絵はがきの発売がきっかけとなって、絵はがき収集が流行し、都会には絵はがきの専門店もあったようです。

 今回の展示では、福岡・博多の名所絵はがきを集めてみました。福博の名所絵はがきには、観光地の名所絵はがきとは異なり、いつの時代もかわらぬ「名所」というのがあまりないようです。それぞれの時代に注目されていた景観が絵はがきになっているのです。当時の人々が絵はがきにした福博名所をみていくと、福博の人々の新しもの好きの気質がみえてくるような気がします。

近代の福岡・博多名所

 時代と共に変化する福博名所ですが、明治時代後期から大正時代、昭和時代前期を通じて絵はがきに登場する名所もあります。その代表的なものが、筥崎八幡宮、東公園、西公園、九州帝国大学(現在の九州大学)です。

 筥崎八幡宮は明治以前からの名所ですが、東公園や西公園もそれぞれ「千代の松原」「荒津山」とよばれて親しまれていた古くからの名所でした。その名所を近代的に公園として整備したのがこの2つの公園です。ただし、絵はがきになったのは、古くから親しまれた風景ばかりではなく、公園内にたてられた銅像や建物なども多く、新しいものもふんだんに盛り込まれたといえます。

 さらに新しく名所に加わったのが、九州帝国大学です。この大学は、長崎や熊本との誘致合戦のすえ、福岡に設置することが決定しました。それだけに当時の福博の人々は、福岡に帝国大学があることを誇りにしていたようです。また、帝国大学の校舎は、当時の最先端の建築でしたから、絵はがきの素材としては適していたのでしょう。

 ほかに、天神の町や呉服町、土居町などの路面電車が走っている風景も、近代的な都市・福岡をアピールする景観として、絵はがきによく使われました。


大正5~8 年頃の九州帝国工科大学(現・九州大学工学部)
大正5~8 年頃の九州帝国工科大学(現・九州大学工学部)

明治時代後期~大正時代

 この時期は、福岡が九州一の都市として成長した時期であり、絵はがきブームも重なり、たくさんの福博名所絵はがきが発行されました。前述の近代の「定番」名所の他に、1909(明治42)年に完成した博多駅(63・昭和38年取り壊し)や日本生命九州支店(現在の赤煉瓦文化館)、15(大正4)年に完成した福岡県庁(81・昭和56年取り壊し)などがよく被写体になっています。

 いずれも、当時の福岡・博多の街では、目をひく立派な近代的な建築だったのでしょう。こうした建築物が、名所絵はがきの被写体としてさかんに使われているのが、この時期の福博名所絵はがきの特徴です。福岡が、強烈に近代都市としての姿をアピールしていた時期であり、実際に街並みが急激に変化した時期だといえるでしょう。

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休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

Facata(博物館だより)

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