平成10年9月29日(火)~平成11年3月28日(日)
仏教の発展に功績(こうせき)・・・祖師(そし)
祖師は仏教の発展に大きな役割をはたしたお坊さんです。代表格として禅宗(ぜんしゅう)をひらいた達磨(だるま)や日本に真言宗(しんごんしゅう)を伝えた空海(くうかい)などがあげられます。わが国では禅宗文化の発達した鎌倉・室町時代に多くの祖師像が作られました。
(8)木造達磨尊者像 |
(8) 木造達磨尊者像(もくぞうだるまそんじゃぞう)
福岡市早良区 千眼寺 (像高)130.1センチ 江戸時代(延宝3年・1675) 1躯
達磨は6世紀頃、インドから中国に来て禅宗(ぜんしゅう)を伝えたお坊さんです。少林寺というお寺で9年間、誰とも口をきかず壁に向かって座禅をしたという話が伝わっています。この像は江戸時代に作られた中国風の像です。鼻が高く、髭(ひげ)や眉毛(まゆげ)が渦(うず)を巻く怖(おそ)ろしげな姿は、いかにも異国からやってきたという雰囲気をあらわしています。
仏像の各部名称 |
(図3)天部(てんぶ)=四天王(してんのう)(多聞天像(たもんてんぞう)) |
天界の守護神・・・・・・・・・天部(てんぶ)
天部はもともとインドで信仰されていた神さまで、のちに仏教に取り入れられました。仏教を外敵から守る役割をになっているので、その多くは鎧兜(よろいかぶと)を身につけて怖(こわ)い顔をしています。持国天(じこくてん)や多聞天(たもんてん)といったのほか、帝釈天(たいしゃくてん)、大黒天(だいこくてん)などがこれに含まれます。
(9) 木造帝釈天立像(もくぞうたいしゃくてんりゅうぞう)
福岡市中央区 福岡市美術館 (像高)98.8センチ 平安時代中期(10世紀) 1躯
帝釈天はもともとインドラという古代インド最強の神様でした。のちに仏教の守護神となり、お釈迦(しゃか)さまの伝記にもしばしば登場しています。中国風の服装をした静かな姿ですが、一説には阿修羅(あしゅら)(戦いを好む古代インドの鬼神(きじん))と激しい戦いを繰りひろげたともいわれます。腰に手を当てて足を踏み出したこの像の姿にも、どこか勇ましさが感じられます。
(10) 木造持国天像(もくぞうじこくてんぞう)
前原市 千如寺大悲王院 (像高)等身大 鎌倉時代(14世紀) 1躯
仏教では世界の中心に須弥山(しゅみせん)というとても高い山があり、その中腹に東西南北を守護する四天王(してんのう)が住むといわれています。持国天はそのうち東を守る武将神です。怖(おそ)ろしい顔をしているのは外敵を威嚇するためで、足元には邪鬼(じゃき)(人に害をあたえる小鬼)を踏みつけています。
(11) 木造多聞天像(もくぞうたもんてんぞう)
前原市 千如寺大悲王院 (像高)等身大 鎌倉時代(14世紀) 1躯
多聞天は四天王(してんのう)のうち北を守る武将神です。鎧兜(よろいかぶと)を身につけ、ふつうは左手に宝塔(ほうとう)、右手には武器を持っています。戦いの神として独立して信仰されることもあり、その場合は毘沙門天(びしゃもんてん)と呼ばれます。また、室町時代からは財福(ざいふく)の神として七福神の中にも含まれました。この像は持国天よりもおとなしい姿ですが、力を内に秘めた静かな迫力が感じられます。
(末吉武史)
(9)木造帝釈天立像 |
(10)木造持国天像 |
(11)木造多聞天像 |
本展の開催にあたりご所蔵の寺・館、並びに関係各位より多くのご協力を賜りました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
※(9)木造帝釈天立像は19月20日までの展示です。