平成10年11月3日(火)~平成11年1月31日(日)
天神 ・博多周辺 |
はじめに
博多湾沿岸一帯には、「ハカタイキ」という言葉があります。農業や漁業をなりわいとする田舎の人々は、この言葉を聞くと、いつもわくわくしたものだと、誰もが語ります。それは、都会へ赴(おもむ)くことを意味したものだったのです。
天神が現在のような賑(にぎ)わいを見せる以前、福岡市1番の都会といえば博多でした。博多は中世以来の都市として長い歴史を誇り、その魅力で周辺に住む多くの人々を惹(ひ)きつけてきました。博多に赴く人々の胸中には、いつも晴れがましい特別な思いがあったといいます。この感覚が「ハカタイキ」という言葉を生み出したといえます。しかし、ここで語られる「ハカタ」は、実際の博多の町を指し示す言葉であるだけでなく、より広い意味で、都会そのものを象徴的に表現したものでした。
それでは、この「ハカタイキ」をキーワードに、田舎人(いなかびと)にとって都会とは何だったのか、探ってみましょう。
“ハカタ” それは輝く都会
福岡市の繁華街(はんかがい)へと向かう人々を見てみましょう。西鉄大牟田線を利用する人は「福岡に出る」といい、バスや地下鉄を利用する人は「天神に出る」といいます。そしてJRを利用する人は「博多に行く」と表現します。同じ都会に出る感覚も、その環境によって少しずつ異なっていることがわかります。
いっぽう、昭和1桁生まれの人がハカタイキと言うとき、実際の行き先は天神であることがよくあります。これは人々の意識の中で、かつての「博多は都会」という意識が、そのまま「繁華街は天神」という現実と結びつき、ハカタ=都会=繁華街=天神という構図で理解されていることを示しています。
ハカタをめざす人々の存在は、大きく地域を広げながら今に続いています。その人々とは、週末ごとにJRの特急列車に乗って“ハカタ”へやってくる若者たちで、列車名にちなみカモメ族とかツバメ族と呼ばれています。はやりの衣服に身を包み、都会の風に吹かれること自体に意味を見いだしているようでもあります。あたかも「都会を浮遊する」ような彼等の行動も、都会の輝きをもとめるハカタイキのひとつの形といえるでしょう。
引札「足袋御商」 |
都会へのときめき
田舎の人々は都会のどこに惹かれていたのでしょうか。
ひとつはショッピングの楽しみ。買い物は、言うまでもなく田舎人が都会へ赴く1番の理由でした。博多に行けば、日用品から贅沢品(ぜいたくひん)まで、それこそ大抵のものが揃いました。盆正月に入り用の品を求めて博多へ赴いたところは広い地域にのぼりました。
もうひとつは目眩(めくるめ)くような賑やかさ。商店の色鮮やかな看板や幟(のぼり)、毎日のようにかかる映画や芝居は、祭りのような非日常を感じさせました。ハレとケの時聞がはっきり分かれている農村社会の人々にとって、都会は、民俗学者・柳田國男(やなぎだくにお)がいうように「常(つね)の晴れ」の世界であったのでしょう。
ハカタイキと言う言葉には、きわめて物見遊山(ものみゆさん)に近いニュアンスが込められています。遊山に散財(さんざい)はつきもので、消費それ自体が大きな楽しみだったのです。糸島地方では太宰府天満宮などの寺社を訪ねる遊山もまたハカタイキと呼ぶことがありましたが、これはその感覚を伝えているものといえるでしょう。