平成10年12月22日(火)~平成11年4月4日(日)
(5)左は全国ではじめて発見された石製の銭鋳型(ぜにいがた)(15世紀後半)、右は京都・鎌倉・堺についで4例目の土製の銭鋳型(15~16世紀)、1994年博多区店屋町(てんやまち)出土 |
(6)薄くて文字も鮮明でない模鋳銭(もちゅうせん)の開元通寶(かいげんつうほう)径2.3cm(実物大) |
(3)日本中世の摸鋳銭
近年、京都・鎌倉・堺や博多で銭の鋳型(いがた)(写真5)が出土し、15世紀後半以降、中国銭を模倣(もほう)して民間で盛んに銭が造られるようになったことが判明しつつある。この模鋳銭(もちゅうせん)(写真6) の鋳造(ちゅうぞう)などによって、市場には多種多様な銭が出回り、良銭と悪銭を区別し、悪銭の受取りを拒否する選銭(えりぜに)行為が盛んに行われるようになった。室町幕府や戦国大名は、くり返し選銭令を出し、貨幣を円滑に流通させようとしたが、選銭行為は結局なくならなかった。
(4)日本近世の官銭
戦国時代の16世紀後半には、銭のみではなく金・銀や米が物の交換手段として登場するようになった。天下を統一した豊臣秀吉は、天正金銀(てんしょうきんぎん)を発行し、おもに大名への贈答(ぞうとう)・賞賜(しょうし)用に使用した。江戸幕府は寛永13年(1636)に寛永通寳(かんえいつうほう)を発行し、さらに寛文10年(1670)に古銭通用禁令(こせんつうようきんれい)を出して、従来の輸入銭や模鋳銭の流通を禁止した。江戸時代には金貨・銀貨・銭貨の三貨(さんか)制度が成立し、銭貨である寛永通費は江戸時代を通じて発行された。
(7)星形孔銭(ほしがたこうせん)の皇宋通賓(こうそうつうほう)径2.3cm(実物大) |
3 特殊な加工銭
博多の出土銭のなかには、珍しい銭が発掘されることがある。なぜ削ったのか不明であるが、祥符元寳(しょうふげんぽう)(1008年初鋳)や熈寧元寳(きねいげんぽう)(1068年初鋳)などの輸入銭の外縁を削って小さくした銭。銭の孔(こう)(穴)の四辺を加工し星の形のようにみえる星形孔銭(写真7)。この星形は、中国で銭の仕上げの過程で入った可能性が考えられるキセルの細長い雁首(がんくび)の部分をたたきつぶして平にし、銭の格好にした雁首銭。銭にめでたい絵・模様・文字などを書いた絵銭(えせん)などがある。
(林 文理)