平成11年3月30日(火)~平成11年8月1日(日)
インドに始まった仏教は、中国・朝鮮半島そして日本へと伝わり、それぞれの地域で特色ある仏教美術が生み出されました。
本展では、このような仏教美術の一端を、福岡市博物館が収蔵する資料の中から、特に彫刻・工芸作品を通じて紹介します。
地域や時代、信仰形態によって異なる多彩な仏教美術の世界をご覧ください。
▼日本の仏像(ぶつぞう)・神像(しんぞう)
日本の仏像の多くは木でできています。これは国土に森林が多く、ヒノキや力ヤといった彫刻に適した木材が入手しやすかったためと考えられています。このため、日本では木で仏像を作る技術が高度に発達し、多くの優れた木造彫刻が生み出されました。
ところで、仏像は仏教の教えによる一定の決まりにもとづいて作られます。しかし日本の彫刻には「木造荼吉尼天像(もくぞうだきにてんぞう)」(1)のように、仏教に属しながら、神とも仏ともつかない暖昧(あいまい)な性格をもった尊像も少なくありません。これは大陸伝来の仏教を、日本人が長い時間をかけて独自に解釈していった結果といえるでしょう。
(1)木造荼吉尼天像 |
(1)木造荼吉尼天像(もくぞうだきにてんぞう) 1躯
像高 24.6センチ 江戸時代(17~19世紀)
荼吉尼天(だきにてん)は人の心の垢(あか)を食い尽くし、幸福をもたらす女神です。もとは仏教の尊格でしたが、日本では稲荷神(いなりしん)と混同され弧(きつね)に乗る姿であらわされました。本像は顔の表情や衣の表現に細(こま)やかな彫技をみせることから、江戸時代に作られたと考えられます。
(2)木造弁才天像(もくぞうべんざいてんぞう) 1躯
像高 22.1センチ 江戸時代(17~19世紀)
弁才天(べんざいてん)は音楽と学問を司(つかさど)る女神です。中世以降は財福神としても信仰され、七福神の中に加えられました。手が2本で琵琶(びわ)を持つ像もありますが、この像は8本の手があり、それぞれに異なる持物(じもつ)(その仏がもつ力や働きを象徴的にあらわす物)を持っています。
(3)木造渡唐天神像(水鏡天満宮 寄託) |
(3)木造渡唐天神像(もくぞうととうてんじんぞう) 1躯
水鏡天満宮 寄託 像高35.5センチ 江戸時代(享保14年・1729)
渡唐天神(ととうてんじん)像は菅公(かんこう)(菅原道真(すがわらみちざね))が中国に渡り、宋(そう)時代の仏鑑禅師(ぶつかんぜんじ)(無準師範(ぶしゅんしはん))と問答(もんどう)を交わしたという説話にもとづいています。中国風の服を身につけているのもそのためです。本像の台座の裏には京都仏師の正慶(せいけい)が太宰府戒壇院(かいだんいん)で梅の木を用いて作ったことが記されています。
【福岡県指定文化財】
(4)木造聖観音坐像(もくぞうしょうかんのんざぞう) 1躯
像高 27.7センチ 江戸時代(17~19世紀)
さまざまな姿をとる観音像のうち、最も基本的なスタイルの像を聖(しょう)(正)観音(かんのん)と呼びます。台座裏の銘文から明治期に活躍した福岡仏師、高田又四郎(たかだまたしろう)(1847~1915)によって修理されたことがわかります。