平成11年7月20日(火)~平成11年10月11日(月)
銅戈のツケ根に鋳出されたシカ |
2,000年ほど前の九州にマッチ箱よりも小さなスペースにシカや鳥を描いた人々がいました。当時のカンバスは青銅器の鋳型で、石に細い線で刻んだものです。
今回は、青銅の祭器“銅戈(どうか)”に鋳出されたシカや鳥の絵に焦点をあてます。もともと“戈(か)”は、刃先を直角にちかい角度で柄に装着し、敵に向かって振りかざす武器でした。弥生時代の中頃になると、銅戈は、実用性を失い、まつりの道具へと変化します。その頃から本来、柄をつけると隠れてしまうツケ根の部分に絵画や記号を表現したものが登場します。「角のないシカはメス?」「右利きの人が動物を描くと頭はどっち向き?」「矢の刺さったシカがかわいそう」といった皆さんの心にうかぶ素朴な疑問や印象を出発点に、原始絵画の謎解きを始めましょう。
土器に刻まれた戈をもつ戦士 |
甕棺に刻まれた2頭のシカ |
弥生人とシカ
北部九州の弥生文化は一言でいえば、稲作(いなさく)の伝来と、青銅器や鉄器などの“金属器の登場”に代表される時代です。弥生時代の人々は、土器や木の板、青銅器に動物や人物を描きました。なかでも最もポピュラーな画題が“シカ”でした。これまで発見されたシカの絵は、九州だけでも30例あまりになります。
弥生人がシカを好んで描いたのはナゼか。そのヒントは彼らのアートの中に隠されているはずです。
弥生アート鑑賞術
角のあるシカと無いシカが同じものに描かれている場合、雌雄ペアか春と秋の雄シカを表現している場合が想定できます。ちなみに子供のシカは、母親と行動する習性があるそうです。
原始絵画に描かれたシカや鳥の表現には、いくつかの決まったパターンがあります。創作や思いつきで描くことはあまりなかったようです。たとえばシカの胴体をL字状に描く画法は地域や時代を超えてみられます。絵を描くという行為は、かなり特殊な技能だったのかもしれません。
銅戈に鋳出されたシカ |
銅戈のシ力
弥生時代の武器には剣(けん)や矛(ほこ)がよく知られていますが、戈も忘れてはいけません。 “戈”は材質に応じて、石戈(せっか)、木戈(もっか)、鉄戈(てっか)そして銅戈の4種類があります。なかでも絵画や記号に最もバラエティーがあるのが“銅戈”です。
銅戈に表現されたシカは、雄シカの抜け代わる角に象徴されるように稲の発芽から刈り取りまでの周期を体現する動物と考えられていたようです。
青銅のカミ
“シカ”が稲の発芽から刈り取りまでの周期をあらわす生き物なら、シカを描いた銅鐸(どうたく)や銅戈のまつりの目的は“稲のカミ”と地域集団との交信といえるでしょう。
石器や木製品にはない光沢や音色をもつ青銅器には、弥生人を非日常の世界へ誘(いざな)う機能がありました。“稲のカミ”と人々を結び、さらに邪霊(じゃれい)を祓(はら)うパワーを与えられた青銅器は、先史時代の精神文化に欠くことのできないアイテムとなったのです。
豊作を祈願するシャーマン |
まつりとシャーマン
“稲のカミ”と地域集団とのパイプ役には、狩人、戦士、鳥装(ちょうそう)の巫女(みこ)など“まつり”の場面に応じてさまざまな出で立ちの人物が選ばれました。
かれらは頭に羽根飾りをつけ、目のまわりに魔除(まよ)けのイレズミをした人もいたようです。私たちは、絵画資料のなかに当時のシャーマンの姿を見つけることができまです。ここでは“鳥”の表現に隠された画題を探ります。
弥生人の四季
豊作祈願、籾播き、収穫祭・・・弥生人が祈りをささげたのは恵みをもたらす“稲のメカニズム” そのものだったといえるでしょう。絵画土器に登場するシカは、角の伸び具合から、まつりが行われた時季を示すだけでなく、中身を推理するヒントも与えてくれます。
“シカ”と“稲作”、一見脈略のないふたつの要素は根っこの部分で深く結びついていたのです。
(常松幹雄)
銅鐸の鋳型に刻まれたシカと鉤 |
木板に刻まれた戦士 |