平成11年8月3日(火)~12月5日(日)
(7)木造大野忠右衛門像(部分) |
肖像彫刻は現実に生きた人物の姿を彫刻としてあらわしたものです。その歴史は古く、日本では奈良・唐招提寺(とうしょうだいじ)の鑑真和上(がんじんわじょう)像(奈良時代)や、奈良・東大寺の重源上人(ちょうげんしょうにん)像(鎌倉時代)など、卓越した技術と鋭い人間観察によって数々の傑作が生み出されてきました。これらの作品は単に人物の外見だけでなく、性格や人柄など人間の深い内面をあらわすことに成功しています。そのため、礼拝などといった本来の用途はもとより、美術作品としても今なお多くの人々を魅了し続けているといえるでしょう。
ところで、ひと口に肖像彫刻といってもその種類は幅広く、僧侶(そうりょ)と俗人(ぞくじん)の区別にはじまり、社会的地位や性別、年齢など様々な分類が可能です。また、作られた事情も、信仰の必要によるものから、私的な追慕を目的としたもの、あるいは記念的な意味をもつもの等々、作品によってそれぞれ異なっていると考えられます。したがって、肖像彫刻を理解するには実際の作品をひとつひとつ見て、像主(作品のモデルになった人物)のことを考えていくことが最も望ましい方法といえるのかもしれません。
本展示では、福岡市とその周辺に残る肖像彫刻からいくつかの特徴的な作品を選び、(1)祖師像(そしぞう)(2)俗人像(ぞくじんぞう)の2つの種類に分けて紹介します。像の顔つきや表情、あるいは服装などから、その人がどんな人物だったのか想像し、また人物の個性を表現するために、どのような工夫がされているのか考えてみましょう。
1 祖師像(そしぞう)-聖(ひじり)のすがた-
日本の肖像彫刻全体をみた時、数のうえで多数を占めるのは祖師像です。祖師とは仏教を広めるのに歴史上大きな役割を果たした僧侶のことです。身近な例としては弘法大師(こうぼうだいし)(空海(くうかい))や伝教大師(でんきょうだいし)(最澄(さいちょう))、日蓮上人(にちれんしょうにん)といった一宗一派を開いた人物があげられます。
祖師像の最大の魅力は、像主が厳しい修行の成果として得た崇高な精神が作品に表現されている点です。特に、師弟のつながりを重視した禅宗では、高僧の人格をみごとに表現した頂相(ちんそう)と呼ばれる祖師像が、鎌倉から室町時代にかけて数く造り出されました。
祖師像は宗派にとっての心の拠り所として大量に造られる性格があります。このような祖師像では像主が生きた時代から離れるほど本来の身体的特徴が失われ、仏像のように持ち物や衣服、姿勢などで人物を象徴的にあらわす傾向が強まりました。このような現象も肖像彫刻のあり方を考える上で興味深い問題といえるでしょう。
(1)木造色定法師像(もくぞうしきじょうほうしぞう)
宗像郡玄海町 興聖寺 (像高)79.0センチ 鎌倉時代(仁治2年/1242)
像に残る銘文から、色定法師が83歳で没した直後に造られたことがわかります。最初から実際の衣を着せるように出来ており、できるだけ生前と同じ状態で接したいという、造った人々の法師に対する気持ちが読み取れます。表情も個性的かつ温和で、偉大な仕事を成し遂げた法師の人柄が偲ばれます。鎌倉時代には仏像の中にもこのように実際の衣を着せたものがみられます。
色定(しきじょう)(良祐(りょうゆう))【1160~1242】
鎌倉時代前期の僧。宗像大社の座主(ざす)の子として生まれ、29歳の時に一切経(いっさいきょう)(全ての経典)の書写を決意。以来42年の歳月を費やして5048巻にも及ぶ経典を書写した。現在そのうち4331巻(興聖寺蔵・宗像大社管理)が残る。
(衣をとった状態) |