平成11年8月3日(火)~12月5日(日)
(9)木造永島良節依(もくぞうながしまりょうせつぞう)
宗像郡玄海町 隣船寺 (像高)86.3センチ 江戸時代(嘉永2年/1849)
永島良節の息子で丸二屋(まるにや)15代目の良直が、親が亡くなった後も変わらず仕えるために博多の職人に作らせたと伝える47歳の寿像(じゅぞう)です。実際の衣服を着せ、頭髪と眉には人毛とみられる毛髪を植えつけるなど、見る者を圧倒する迫力と異様な存在感をもっています。本像は数少ない町人の肖像彫刻というだけでなく、特殊な制作の意図がわかる例として貴重です。
永島良節(ながしまりょうせつ)【1802~1858】
江戸時代後期の人。筑前神湊(こうのみなと)(宗像郡玄海町)で代々酒造・質屋を営んだ丸二屋の14代目。性格温厚で家業のかたわら常に慈善事業をおこない村民に慕われた。福岡藩から「善行之者(ぜんこうのもの)」と書いた札を下されたという。
(10)木造謝国明像(もくぞうしゃこくめいぞう)
福岡市博多区 承天寺 (像高)55.0センチ 江戸時代(17~19世紀)
承天寺(じょうてんじ)建立の功労者として祀られる典型的な檀越像(だんおちぞう)です。中国風の衣と冠を着けるなど、宋(中国)商人であることを意識した姿であらわされています。表情などは理想化が進んでいるため江戸時代に造られたと考えられますが、衣の表現は柔軟で、彫刻としての出来は優れています。承天寺には本像のもとになったと思われる元禄8年(1695)に描かれた謝国明の画像が伝えられています。
謝国明(しゃこくめい)【?~?】
鎌倉時代前期の中国商人。博多に居住し貿易をおこないながら、円爾弁円(えんにじべんえん)(聖一国師(しょういちこくし))を開山として招き、承天寺を建立した。また、中国の径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)が焼失した折には復興の材木1,000枚を送り、今日その礼状である『無準師範墨蹟(ふじゅんしはんぼくせき)』(東京国立博物館蔵・国宝)が残る。
(11)木造関帝像(もくぞうかんていぞう)
福岡市早良区 千眼寺 (像高)136.0センチ 江戸時代(延宝3年/1675)
江戸時代に中国から伝わった黄檗宗(おうばくしゅう)様式の彫刻です。関羽(関帝)は歴史上の人物ですが、信仰の対象として神格化されており、表情などは完全に理想化されています。像内に木製の木札があり、江戸時代の延宝3年(1675)に仏師龍澗(りゅうかん)によって造られ、もと福岡・聖福寺の土地堂に安置されていたことがわかります。関羽の最大の特徴である長い髭が植毛であらわされるなど、その表現には日本にはない独特の感覚がみられます。
関帝(かんてい)(関羽(かんう))【?~219】
中国・三国(魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく))時代の武将。武勇に優れ、常に劉備(りゅうび)を助けて蜀の建国に功績があった。荊州(けいしゅう)を守備していた際に呉軍に攻められて殺されたが、後に武神(関帝)として民間で広く信仰されるようになった。
(用語解説)
【肖像(しょうぞう)】
実際に生きた人物の姿を画像や彫像などであらわしたもの。「肖(しょう)」は骨組みや体つきが似ること「像(ぞう)」はものに似せた姿かたちという意昧。
【像主(ぞうしゅ)】
肖像画もしくは肖像彫刻のモデルになった人物のこと。肖像作品を扱う場合に用いられる用語。
【頂相(ちんそう)】
「ちんぞう」とも読む。禅僧の姿をあらわした画像または彫像。師から弟子 へと与えられ、正しく法を継いだことを証明する性格をもつ。そのため一般の祖師像とは区別される。
【寿像(じゅぞう)】
人物が生きているうちに制作した肖像のこと。それに対して死後に造られた肖像は遺像(いぞう)と呼ぶ。
【檀越(だんおち)】
「だんおつ」とも読む。仏教の用語で、僧侶や寺のために金銭の援助を施す人をさす。檀那(だんな)、檀家(だんか)、檀主(だんしゅ)に同じ。
(学芸員 末吉武史)
本展の開催にあたりご所蔵、並びに関係各位より多くのご協力を賜りました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
(3)木造鑑真和上像は10月3日(日)までの展示です。