平成11年10月13日(火)~12 月26 日(日)
須賀神社に奉納された絵馬 |
木屋瀬祇園山笠「追い山」 |
木屋瀬(こやのせ)と加布里(かふり)の山笠
ハカタウツシをいくつかの山笠で詳しく見てみましょう。北九州市八幡西区木屋瀬。ここは、江戸時代の宿場町として栄えた所です。現在、ここの山笠は直方系ですが、明治時代に須賀神社に奉納された山笠を描いた絵馬を見ると、博多と同じ「岩組山」になっています。当時は9メートルの高さを持つ博多系の山笠だったことがわかります。祭りの日には、周辺の村からも甍(いらか)の上に山笠頂上の幟が見えていたということです。
当地にはこの山笠のかたちだけではなく、いろいろな所に博多との接点があります。木屋瀬の旧宿場部分は本町と新町とからなっていますが、本町を「福岡」、新町を「博多」と通称し、中央を流れる小川を「室見川」と呼びました。祭りのときには、この2つの町からそれぞれ山笠がでて、博多山笠の花形行事「追い山」と同じ行事で終わるのです。また、「博多の山笠は飯塚から木屋瀬に来て、黒崎で終わる」という言い方もあります。飯塚・黒崎ともに長崎街道の宿場町で、ハカタウツシが江戸時代の街道沿いに進んでいく様子を語っているといえるでしょう。
加布里天満宮に奉納された絵馬 |
前原市加布里は江戸時代には海運の港町として栄えました。町割りもどことなく博多に似ており、中小路・洲ヶ崎など博多を連想させる町名も残っています。ここの山笠は、江戸時代におこった大火災と疫病流行を機に、寛延3年(1750)に始められたものです。そのかたちは博多と同じ「岩組山」ですが、高さが10メートルを越える車輪のついた曳き山になっています。人形や飾りは現在では、地元で製作していますが、かつては、博多の人形師がやって来て作りました。小島與一(こじまよいち)・原田嘉平(はらだかへい)という有名な博多人形師が描いた絵馬が加布里天満宮に奉納されているのもそのことを伝えています。また、ここの山笠は博多山笠に影響を与えました。加布里の山笠には必ず牡丹の花の作りものを飾りました。それは1枚1枚花びらを作っていく緻密(ちみつ)なものでした。これを見た博多人形師が博多の山笠にもこの加布里の牡丹を取り入れたのです。
加布里には山笠以外の行事にもハカタウツシが見られます。8月26日に行われる「二十六夜様」と9月1日の「八朔(はっさく)」です。「二十六夜様」は玄関先に砂を盛り、ひねり人形を箱庭のように飾り付ける行事です。人形は加布里の雑貨屋が博多から卸したものです。この行事は、かつて博多でもお盆に「いけどうろう」という名前で行われていたもので、ひねり人形作りは博多人形師の副業でした。「八朔」は男の子の誕生を祝って、笹竹に付けた玩具を贈答するものです。これも、すでに博多では失われてしまいました。加布里には博多との人とモノの交流が窺(うかが)われます。
二十六夜様 |
加布里山笠法被(昭和5年) |