平成11年11月30日(火)~平成12年2月6日(日)
(5)地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう) |
(祥勝院蔵) |
(5) 地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)
博多区 祥勝院 (総高)50.3センチ 江戸時代(文政6年/1822) 正木幸弘(4代)
大正4年に地蔵堂敷地に埋もれていたのを工事中に発見されたと伝えます。陶製の仏像としては大型で、台座と本体は一体で形成されています。
【像内陰刻銘】「文政六癸未年仲春吉日筑前博多陶師宗七幸弘作之」
【背面下部押印】「宗七」(長円印)「正木幸弘」(方印)
(6)香炉(こうろ) |
(善導寺蔵) |
(6) 香炉(こうろ)
博多区 善導寺 総高31.1センチ 胴張36.3センチ 江戸時代(寛政4年/1792) 正木宗七(3代ヵ)
表面を細かく粒状に刺突(さしつ)き燻(いぶ)しをかけて焼成する「柚肌錆地焼(ゆずはださびじやき)」の香炉で、一見しただけでは鉄製品のように見えます。善導寺は正木家の菩提寺で、(7)の香炉とともに施入されたのでしょう。
【円台陰刻銘】「寛政四年子六月十五日」
【胴下部陰刻銘・押印】「イ」「総七」(長円印)
【基台裏陰刻銘・押印】「イ」「宗七」(長円印)
(7)香炉(こうろ) |
(善導寺蔵) |
(7) 香炉(こうろ)
博多区 善導寺 総高15.6センチ 胴張24.1センチ 江戸時代(天保7年/1836) 正木幸弘(4代)
中国の古銅器を摸した「柚肌鏑地焼(ゆずはださびじやき)」の香炉です。胴下部などの陰刻銘から4代宗七が父と伯父の7回忌のために制作したことがわかります。身部は轆轤(ろくろ)、獣足(じゅうそく)や鐶付(かんつき)は型で形成されています。
【胴下部陰刻銘】「文政十三寅年/七月十一日/陶工三代/宗鈞善士/八十三歳宗七/同年三月十三日/同人之弟/七十一歳/俗名氏助/浄圓信士位」
【底部陰刻銘・押印】「天保七年甲三月/両佛七年法/陶工四代六十三歳/博多善道寺」「宗七」(長円印)「正木幸弘」(方印)
(8)香炉(こうろ) |
(観世音寺蔵) |
(8)香炉(こうろ)
太宰府市 観世音寺 総高28.7センチ 胴張26.2センチ 江戸時代(18~19世紀) 正木宗七(3代ヵ)
瓦質の胎土に燻(いぶ)しをかけ鉄錆地を表現したものです。蓋には地蔵菩薩を意味する梵字を透しであらわし、側面には線刻で流麗な龍と雷文(らいもん)を施しています。
【胴下部陰刻銘・押印】「イ」「宗主」(長円印)
(9)茶釜(ちゃがま)・風炉(ふろ) |
(福岡市博物館蔵) |
(9) 茶釜(ちゃがま)・風炉(ふろ)
福岡市博物館 総高23.9センチ 江戸時代(18~19世紀) 正木宗七(3代ヵ)
茶の湯の釜と風炉を組み合わせた置物です。表面には霰地(あられぢ)を丹念にあらわし、燻(いぶ)しによる鈍い色調で鉄製品の質感を巧みに表現しています。茶釜の鈕(ちゅう)にあらわされた巻き貝の意匠も優れています。
【底部陰刻銘・押印】「イ」「宗七」(長円印)