平成12年1月5日(水)~3月12日(日)
那珂遺跡67次調査区環濠断面 |
板付遺跡全景 |
紀元前5世紀頃の九州地方に大陸から稲作文化が伝えられ、弥生時代が始まりました。稲の栽培は、人々に豊かな実りを約束し、生活の安定をもたらしました。
ところが一方では、収穫物や耕作地の水利を巡ってムラ同志が争うようになります。争いからムラを守るため周囲に深い濠を巡らした「環濠集落(かんごうしゅうらく)」が造られるようになります。つまり弥生時代は、日本列島に豊かさと安定をもたらした反面で、人々が傷つけあい殺しあう争いの時代でもありました。この争乱の時代を経て地域はより大きなまとまりへ統合されていったのです。
今回は、「環濠集落」の造られた時代の「戦士」達の骨に刻まれた生々しい傷跡や墓に副葬された「武器」から戦いのようすを復原し、人はなぜ傷付け合わなければならなかったのかを一緒に考えてみましょう。
ムラを守る逆茂木 朝日遺跡(愛知県埋蔵文化財センター) |
環濠集落のはじまり 周囲に濠を巡らしたムラは、農耕が始まった8000年前の中国で見つかっています。 紀元前5世紀頃に水稲耕作が九州地方に伝わると、防御機能を備えたムラ「環濠集落」がつくられるようになります。 |