平成12年5月30日(火)~7月23日(日)
描かれた博多庶民の暮らし
博多の大商人や由緒のある町人に比べ、一般の博多庶民は、特定の個人の姿が絵に描かれ残されることは少なかったでしょう.。さいわい江戸時代の中頃から、福岡藩には義人(ぎじん)、孝子(こうし)、忠義(ちゅうぎ)者などの理由で藩が褒賞した人々の略伝集「筑前孝子良民伝(ちくぜんこうしりょうみんでん)」、「筑紫遺愛集(ちくしいあいしゅう)」が出版され、そのなかに、博多で毎日の暮らしに励む様子が挿画として描かれている人々もいます。
多くは小さな商いや行商に携わる人達、小規模の細工職人、或いはそれらのなかで家の主人が死んで残された家族達の話で、貧しい生活のなか、家族がむつまじく日々の仕事に励み、親に孝行しているといったことで褒賞されています。また博多の大店の奉公人の中には、前の主人が死んで没落しそうになった店を、幼い主人を支えて長年にわたって仕え、店を盛り返したといったエピソードで語られている人達もいます。これらの人々の褒賞は、もちろん当時の支配者側に望まれる人間像をあてはめたものには違いありませんが、描かれたかれらの姿は素朴(そぼく)で慎ましく、当時の庶民生活をしのばせます。時として博多でも、これらの庶民の多くは、米価高騰(こうとう)によって生活が苦しくなります。博多の大店や町人のなかには、そのような時に救済活動に当ったことで、藩から義人・奇特(きとく)者として藩に表彰された人もいました。このほか、当時の博多の重要な産物であった博多織の職人や練(ね)り酒を商う姿が「筑前名所図会」に、また博多織を商う姿などが錦絵等に残されています。
描かれた博多祇園山笠
江戸時代前期の山笠巡行図(じゅんこうず)は、現在残された博多祇園山笠図のうちでも古いものです。また、同時にこの絵は博 多の町並や家屋、そこに住む数多くの人々が描かれているとても貴重なものです。この他、毎年、博多で六本作られた山笠を一本ずつ描いた絵画(屏風、掛け軸)があります。とくに藩主黒田氏に伝わったものは、毎年、博多の町々から献上されたものといわれ、町絵師で山笠の人形つくりに携わった三苫(みとま)氏が描いています。
(又野 誠)
博多祇園山笠巡行図(部分) |
筑紫遺愛集 (奥小路町・八十吉) |
筑前孝子良民伝 (須崎町・紅屋惣兵衛) |