平成12年10月3日(火)~11月12日(日)
戦後の博覧会
昭和20(1945)年8月に戦争が終わると、全国で戦後復興が始まりました。日本の主要な都市はどこも空襲などにより大打撃を受けていましたが、昭和25年前後になると、博覧会を開くことができるようになりました。
また、その名も「アメリカ博」という戦時中には想像もできなかった博覧会もありました。昭和25年に西宮で開催された博覧会です。
福岡で開かれた博覧会
明治43(1910)年の第13回九州沖縄八県連合共進会にあわせて開業した福博電気軌道(市内電車)のポスターには、背景の一部に共進会場が描かれています。これが、現在当館が収蔵している福岡の博覧会・共進会関連のポスターとしては、一番古いものになります。
福岡で開かれた大正から昭和初期の博覧会の中では、昭和2(1927)年の東亜勧業博覧会が特に規模の大きな博覧会だったといえるでしょう。この東亜博のポスターには、会期が「大正16年」と記されています。大正15年12月に大正天皇が崩御したばかりでしたが、博覧会は当初の予定通り開催されました。このことからも、その規模の大きさやこの博覧会にかける地元の意気込みがうかがえます。博覧会終了後、会場となった大堀埋立地は、その大部分は整備がすすめられて大濠公園となりました。昭和11年の春、博多築港記念大博覧会が開催されました。これは、昭和4年に内務省の直轄工事として着工した博多港修築の第一期工事完成を記念した博覧会です。福岡でも戦前は、昭和14年の聖戦博覧会のように、戦時体制と密接に関係した博覧会が開かれました。また、その展示内容をみると、昭和2年の東亜勧業博覧会にも、今から考えると戦時色を感じます。
戦後、福岡は、昭和21年に復興祭が行われてドンタクと山笠が復活し、昭和23年には国体が開催されるなど順調に復興の道を歩みました。そして、昭和50年には、山陽新幹線の博多駅乗り入れを記念して、福岡博が大濠公園で開催されました。また、平成元(1989)年にシーサイドももち地区で開催されたアジア太平洋博覧会=よかトピアは、福岡市の市制施行100周年を記念した博覧会でした。
(太田暁子)
博多築港大博覧会 (昭和11年開催) |
東亜勧業博覧会 (昭和2年開催) |
福博電気軌道株式会社のポスター |