平成13年5月29日(火)~平成13年9月9日(日)
玄界灘に面した福岡市は、その地理的条件からいち早く稲作農耕を受け入れた先進地域であり、古くから対外交流の拠点都市として発展してきました。そのため市内には、国宝の金印をはじめ貴重な歴史的文化財が数多く残っています。
これらの文化財は、国民すべてが共有する財産であり、長く将来にわたって子々孫々に残し伝えていかなければならないものです。昭和25(1950)年には、この理念に沿って文化財保護法が制定され、史跡や国宝・重要文化財等に指定された文化財は、日本の歴史を語る貴重な文化遺産として保護・活用が図られています。
福岡市では、国や県に準じて昭和48(1973)年3月31日に福岡市文化財保護条例を制定し、建造物や絵画・彫刻などさまざまの文化財を指定し、福岡市の歴史や文化理解の一助として広く保護・活用しています。
今回は、21世紀の最初の年にあたり、歴史・文化を語る貴重な文化財として20世紀に指定された考古資料を網羅的に展示して、そのすべてを鑑賞しようとするものです。
1.東入部遺跡出土資料 |
2.有田遺跡出土品 (177次調査) |
5.小銅鐸 (今宿五郎江遺跡出土) |
6.銅戈 (有田遺跡出土) |
7.銅戈 (白塔出土) |
福岡市指定文化財とは・・・
対外交流の窓口として発展してきた福岡市には、鴻臚館(こうろかん)跡や元寇防塁(げんこうぼうるい)をはじめ博多祇園山笠など郷土特有の文化が形成され、さまざまな文化財が数多く残されています。このうち特に、福岡の歴史や文化を語る上で重要なものは、福岡市指定文化財として保存し、市民の歴史理解や文化の向上に役立てています。
福岡市指定文化財には、建造物・絵画・彫刻・書籍・古文書や考古資料などの有形文化財と演劇・音楽・工芸技術などの無形文化財、衣食住・生業・信仰・年中行事などの風俗慣習や民俗芸能などの民俗文化財、貝塚・古墳・城跡などの遺跡や庭園・橋梁・海浜・山岳などの名勝および動物・植物・地質鉱物などの記念物の4つがあります。
このうち考古資料の指定は、昭和49(1974)年の東区松崎六田地蔵(まつざきろくたじぞう)の「正平廿一年銘梵字板碑(しょうへいにじゅういちねんめいいたび)」にはじまり、平成12(2000)年に指定された西区白塔(しろとう)出土の「人面銅戈(じんめんどうか)」までの42件733点があります。
8. 銅戈 (下山門敷町遺跡出土) |
9.今宿遺跡出土品 |
10.野方久保遺跡出土品 |
12.銅剣・銅戈鋳型 |
11.比恵遺跡出土品 |
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13. 銅鐸鎔笵残欠 (博多区大字東平尾出土) |
14.青銅器鎔笵残欠 (博多区板付出土) |
17.銅剣鎔笵残欠 |
18.青銅器鎔笵残欠 (早良区有田出土) |
弥生時代の指定文化財
稲作農耕をいち早く受け入れた福岡市には、弥生時代の遺跡が数多くあり、クニの成り立ちやくらしの様子を示すさまざまな遺物が出土しています。なかでも青銅器(せいどうき)や青銅器鋳造(せいどうきちゅうぞう)関係の遺物の多さは、先進地域としての奴国(なこく)の地位を物語っています。このような地域的特徴から、多くの弥生時代の資料が指定文化財になっています。
弥生時代の指定文化財は、昭和63(1988)年に指定を受けた東区八田(はった)の出土と伝えられる銅剣(どうけん)と銅戈(どうか)の鋳型(いがた)から、平成12(2000)年の西区白塔出土の人面銅戈まで28件627点が指定されました。
このほかに天明4(1784)年に志賀島から出土した「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印が昭和29(1954)年に国宝に、また吉武(よしたけ)遺跡の早良王墓から出土した多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)などの青銅器などが昭和62(1987)年に重要文化財に指定されています。
19.銅矛鎔笵残欠 (西区飯盛出土) |
20.青銅器鎔笵残欠 (飯倉D遺跡出土) |
21.青銅器鎔笵残欠 (井尻B遺跡出土) |
22.青銅器鋳造関係遺物 (博多区那珂遺跡出土) |
23.三角縁二神二車馬鏡 |