平成13年7月31日(火)~平成13年12月2日(日)
紀元前5世紀頃、インドにおこった仏教は、中国・朝鮮半島を経て日本へと伝わりました。そして、それぞれの地域で、特色ある仏教美術が生み出されました。
本展では、このような仏教美術の一端を、福岡市博物館がこれまで収集した彫刻・工芸作品を通じて紹介します。
地域や時代によって様々に姿をかえる〝信仰のかたち〟は、私たちに何を語りかけているのでしょうか。多様で奥深い仏教美術の世界をご覧ください。
① 鍍金鐘 |
《重要文化財》
① 鍍金鐘(ときんしょう)/1口/志賀海神社 寄託/総高52.8㎝/口径30.5㎝/高麗時代(13世紀)
朝鮮半島で制作された梵鐘。現在は緑青(ろくしょう)(サビ)に覆(おお)われているが、各部に当初の鍍金(ときん)(金メッキ)の跡が残り、かつては全体が金色に輝いていたことがわかる。竜頭(りゅうず)の彫刻も、極めて精巧かつ豪華であり、朝鮮半島鐘の中でも最も優れた作例のひとつである。
② 滑石製経筒(かっせきせいきょうづつ)/2口/総高35.0㎝/口径22.1㎝/平安時代(12世紀)
平安時代後期には末法思想(まっぽうしそう:釈迦が入滅して3000年たつと仏法が廃(すた)れ世の中が乱れるという思想)の影響で経典を地中に埋納(まいのう)することが流行した。経典を入れる経筒は通常、銅や陶器で造られることが多く、柔らかい滑石(かっせき)を削りだして造った本資料は経筒の外容器として用いられたものか。福岡市早良区西油山(にしあぶらやま)から出土したと伝える。
③ 木造如来像残欠 ⑤ 陶製普賢菩薩像 |
《福岡県指定文化財》
③ 木造如来像残欠(もくぞうにょらいぞうざんけつ)/1躯/永島武弥太氏 寄贈/総高51.5㎝/平安時代(12世紀)
寄木造りの如来像の上半身前面が残ったもの。像下部に上半身を支える像心束(ぞうしんつか)が残ることからもとは坐像であったと思われる。丸い顔や穏やかな表情、浅く刻まれた衣文(えもん)は平安時代後期の仏像の特徴をよくあらわしている。
④ 陶製文殊菩薩像(とうせいもんじゅぼさつぞう)/1躯/総高21.3㎝
⑤ 陶製普賢菩薩像(とうせいふげんぼさつぞう)/1躯/総高 31.0㎝
⑥ 陶製達磨像(とうせいだるまぞう)/1躯/像高34.5㎝/昭和時代(20世紀)
文殊菩薩と普賢菩薩は釈迦如来の脇侍(きょうじ)として釈迦三尊像を構成する。文殊は智恵、普賢は慈悲を司(つかさど)るとされ、それぞれ獅子と象に乗る姿であらわされる。達磨は6世紀頃、インドから中国に来て禅を伝えた人物。作品④~⑥は代表的な博多人形師、原田嘉平(はらだかへい)(1894~1982)が昭和30年代に制作したもの。右手に剣を持つ文殊菩薩像には躍動感があるいっぽう、普賢菩薩像の表現には穏やかな深みを感じさせる。達磨は髭(ひげ)をたくわえた威厳のある姿だが、大きな目をぎょろりとむいた姿はどこかユーモラスでもある。
【原田ヒデ氏 寄贈】