平成13年9月11日(火)~平成13年10月14日(日)
福岡市赤煉瓦文化館 |
福岡市中央区天神1丁目の、昭和通りと博多東急ホテル前の通りが交差する、西中島橋のたもとに福岡市赤煉瓦文化館があります。当初、この建物は日本生命保険株式会社九州支店として、工学博士辰野金吾(唐津出身)と片岡安によって設計され、清水組によって明治42年(1909)2月に竣工しました。煉瓦や石材はイギリスから取り寄せたといわれ、一九世紀末頃に流行した英国風建物になっています。明治末期の本格的洋風建築として昭和44年(1969)3月に重要文化財に指定されました。
のち、福岡市は日本生命から建物を譲り受け、内部を改装して福岡市立歴史資料館として昭和47年(1972)11月に開館しました。市民には「赤煉瓦の資料館」と親しまれ、17年5ヶ月にわたり活動してまいりましたが、福岡市博物館の建設によりその使命を終えたのは平成2年(1990)3月のことです。
展示では考古学を主体に、「原始古代の生活と社会」や「博多と対外交渉」などの常設展示を行い、特別展示では、元寇の文永の役から700年を記念して「元寇700年展」を、東区志賀島で国宝「金印」が発見されて200年を記念した「漢委奴国王・金印展」(1984)を開催。続いて「早良王墓とその時代」(1986)や「古代の船」(1988)などの展覧会を開きました。
他に福岡市内および近郊の民俗調査も行い「玄界島史資料調査概報」「福岡市歴史資料所在確認調査報告書」などの報告書を出しています。また収蔵品のなかに農機具や漁具が多く見られるのはその成果と思われます。
収蔵品については、昭和47年(1974)から平成元年(1984)まで収集活動が行われました。なかでも幕末の勤王派で知られる歌人野村望東尼の資料、筑前の国学者であり考古学のくさわけである青柳種信関係資料は郷土史研究では不可欠の資料群です。
購入資料は5,070点(考古792点、歴史4,163点、民俗115点)そして寄贈資料は11,106点(考古1,781点、歴史1,390点、民俗7,935点)が収集されました。現在これらの資料は歴史と民俗関係資料は福岡市博物館へ、考古資料は福岡市埋蔵文化財センター(博多区井相田)にそれぞれ収蔵されています。
絵ハガキ 西中島橋 左上隅が当時の日本生命九州支店 大正4年・1915頃 |
今回の展示では当館に収蔵されたもののなかから、寄贈された資料を展示することにしました。もちろん全点展示することは不可能なので寄贈者1人1点を原則にしましたが、それでも寄贈者は284名もおられるので、かつての福岡市歴史資料館にはどのような種類のものが収蔵されていたのかがわかるように配慮しました。それは古文書、書籍、日記、証明書、絵画、書、工芸、絵はがき、写真、設計図、電化製品、日用品、農機具、漁具などです。
(田鍋隆男)