平成13年10月16日(火)~平成13年12月16日(日)
No.13 釈迦降魔像(部分) |
仏教を開いたお釈迦(しゃか)さまは、幼名をシッダールタといい、古代インドの一部族、釈迦族の王子として生まれました。王宮で何不自由ない生活を送りながら、生老病死の4つの苦しみを憂(うれ)い、出家します。35歳のとき、ブッダガヤの菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟(さと)りを開いたあと、各地で法を説くこと45年、80歳で、クシナガラの沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で入滅しました。この、よく知られたお釈迦さまの生涯の物語は、およそ仏教の広まったところならどこでも、絵画や彫刻としてあらわされてきました。
アジアを中心に広がる仏教は、さまざまに枝分かれしており、その教えを目に見える形に表わす仏教美術も、さまざまです。しかし、どの地域の仏教美術を見ても、仏教の開祖・お釈迦さまは、その存在が根元的なだけに、いろいろな形式をとりながら、造形化されています。いわば、お釈迦さまの表現は、仏教文化を伝える地域の、共通語とも言えるのです。この展示では、脇侍(きょうじ)をともなう釈迦三尊や、誕生仏(たんじょうぶつ)や涅槃仏(ねはんぶつ)など、さまざまな釈迦像の表現をとおして、アジアの共通語としての仏教美術を考えてみます。
おともは誰?
No.2 釈迦如来及び寒山・拾得図 No.9 誕生釈迦像 |
釈迦の姿の表現は、大きく2つの種類に分けることが出来ます。1つは、真正面を向いて立つ、あるいは、坐る釈迦の像です。お堂の本尊として祀られているおなじみの姿です。もう1つは、お話の中に登場する釈迦像です。お話というのは、多くは、釈迦の生涯の物語である仏伝(ぶつでん)ですが、そのワンシーンの登場人物として釈迦はいろいろな形姿に表されているのです。
2つの種類のうち、前者の釈迦像は左右におともの像―脇侍像をともなうのが普通です。最も一般的なのは、左に獅子に乗る文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、右に象に乗る普賢(ふげん)菩薩をともなうものです。他には、釈迦が率いていた多くの弟子を代表する阿難尊者(あなんそんじゃ)と迦葉(かしょう)尊者の像を左右に配するものがあります。さらに、釈迦と脇侍像に加えて、いろいろなとりまきの像―眷属(けんぞく)を表すことがあります。眷属には、仏法を護る十六善神(ぜんしん)、修行の極意に達した羅漢(らかん)などがあり、なかでも羅漢は、500体も配することもあるのです。
さて、展示している釈迦像には、ちょっと変わった人たちと組み合わされているものがあります。№2の釈迦像の左右には、髪はボサボサ、服もボロボロ、手にはお経やホウキを持った人物が配されています。この2人は寒山(かんざん)と拾得(じっとく)といい、中国・唐時代の終わり頃、天台山にすんでいた隠者(いんじゃ)とされています。通常は、2人でにかにかと笑う姿や、楽しそうに詩を吟(ぎん)じる姿に描かれますが、ここでは釈迦の脇侍をつとめています。徳の高い隠者として、寒山が文殊菩薩の、拾得が普賢菩薩の化身(けしん)であると見なされていたことから成り立った表現でしょう。