平成14年4月9日(火)~6月9日(日)
能の世界には、猛々(たけだけ)しい武将、雅(みやび)な貴公子、気高(けだか)い神、やつれた怨霊(おんりょう)など、いろいろな役柄の男たちが登場します。そして、それらの役割に用いられる能面も、老若さまざまな相貌をあらわしています。本館が所蔵する能面・狂言面コレクションを紹介する「能面の世界」シリーズ。第3回にあたるこの展示では、多彩な男面の世界を紹介します。
1 遊狂の男
銀杏(いちょう)形の前髪も初々しい喝食(かっしき)(No.1)は、女性とみまちがうような美しい少年の面(おもて)です。喝食の語は、もともと食事だと唱(とな)えて人に知らせる動作を意味します。禅宗の寺院で、この役割を得度(とくど)前の少年がつとめていたことから、半僧半俗の有髪の少年を喝食と呼ぶようになりました。この面は、見目麗(みめうるわ)しく、智恵や芸能に優れた若者の役として登場します。例えば『花月(かげつ)』では、京の都で舞の上手(じょうず)として名を上げ、生き別れになった父と再会する少年、『自然居士(じねんこじ)』では、見事な舞と引き換えに人買いから子供を取り戻す居士(正式に出家していない修行者)の役に用いられます。
喝食の面が用いられる曲は、「遊狂物」としてくくられることがあります。「遊狂」とは、喝食の面があらわす役柄、すなわち芸能をひさぐ者あるいは一種の聖(ひじり)として、俗世との間に隔(へだ)たりを置きながら、優れた舞や歌を供して世間の人々を魅了するキャラクターの有り様を指しています。
同じく少年の面容をとる面に童子(どうじ)(No.2)、慈童(じどう)(No.3)があります。喝食が必ず現身(うつしみ)の少年をあらわすのに対し、童子、慈童は、神の化身(けしん)や仙人、精霊として登場します。例えば、『枕慈童』では、深山に咲き乱れる菊の中、少年の姿のままにひとり700年の歳月を生きる不老不死の仙人の役に用いられます。また、明朗な笑顔を浮かべた赤ら顔の猩々(しょうじょう)(No.4)は、海にすむ酒好きの妖精であり、赤づくしの装束を着け、酒の効能を説きながら、めでたく舞い踊ります。弱法師(よろぼし)(No.5)は、盲目の少年の面です。いわれない他人の告げ口によって実の父親に家を追われ、悲しみのあまり盲目となって放浪するうちに、過去を悔(く)いた父親と再会する、『弱法師』の専用面です。少年が、まぶたによみがえってくる山水草木に感極まって、物狂しく舞うさまはこの曲の見せ場となっています。
少年の面があらわす役は、いずれも、見る者の心を狂わすかのような美しい容姿と華やかな舞を特色としており、喝食があらわす「遊狂」という性格を共有していると言えるでしょう。
1.喝食 |
2. 童子 |
3.慈童 |
4.猩々 |
2 神ともなる美丈夫(びじょうぶ)
眉根をよせた表情の邯鄲男(かんたんおとこ)(No.7)は、若々しい青年の面です。ひとたびの午睡(ごすい)の間に、一国の王となる夢を見て、人生のはかなさを悟(さと)る若者・廬生(ろせい)の『邯鄲男』に用いられます。青年の相を示す能面にはいくつかの種類がありますが、代表的な中将(ちゅうじょう)の面がやや女性的な雰囲気をそなえるのに対して、邯鄲男は男性的な面といわれています。美しき丈夫(ますらお)そのものといった面容は、夢の中の身分とはいえ栄華を極めた帝王にふさわしく、その力強さゆえに、しばしば『高砂(たかさご)』の住吉明神(すみよしみょうじん)のような若々しい神の役に転用されます。
5.弱法師 |
6.蝉丸 |
7. 邯鄲男 |
8.神体 |