平成16年2月3日(火)~4月4日(日)
古川古松軒「西遊雑記」天明3(1783)年 |
3 近世‐諸国への通路もよき処なり
18世紀、備中国の地理学者古川古松軒(ふるかわこしょうけん)は、「西遊雑記(さいゆうざっき)」(天明3年・1783)(写真3)で、「博多の地は古き湊にて、むかしは蛮船着岸し、九州第一の湊なりし故に古跡所も数多にて、名所の古歌も多し」と記しています。また、博多湾は「海は深からず大船今に入津ならず」、香椎潟は「遠干潟にて船入あしく、淋しきところ」、海の中道の最西端の細い砂州は季節によって陸続きになったり切れたりすると、近世地理学者の目でもって、博多湾の風景を細かに観察しています。
4 近・現代-汽車は千代の松原を走る
博多湾は、幾多の文芸作品や推理小説の舞台になっています。明治40年、九州を旅した北原白秋ら『五足の靴』のメンバーは海の中道の砂丘を、松本清張は「点と線」(昭和32年)で、香椎浜での心中事件を謎解きし、埋立てによって変貌した香椎潟を描き、瀬戸内晴美(寂聴)は、伊藤野枝(いとうのえ)の伝記を書いた「美は乱調にあり」(昭和44年)で、今宿の海岸から見た博多湾を、さらに司馬遼太郎は「街道をゆく」(昭和54)で、今津防塁(いまづぼうるい)から見た博多湾を書いています。それぞれ当時の博多湾の風景を描写しており、風景の変化を知ることができます。
(林 文理)
前田虹映「福岡市鳥瞰図」昭和15(1940)年 |