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No.244

考古・民俗展示室

元岡の歴史展2-石ヶ元古墳群を中心として-

平成14年6月29日(火)~平成16年9月12日(日)

はじめに


石ヶ元古墳群遺跡群全景

玄界灘に面した嶋(志麻)の地は、朝鮮半島南端の伽耶(かや)地方を指呼(しこ)の間に臨み、南にはその昔に女王卑弥呼(ひみこ)がいた邪馬台国(やまたいこく)の外交機関が置かれた伊都(いと)国があります。石ヶ元(いしがもと)古墳群のある元岡の地は、この嶋郡南東辺の丘陵地帯にあり、眼下には今津湾から西に入り込んだ入り江が拡がっていました。 5世紀から7世紀の朝鮮半島は、ヤマトと百済(くだら)、新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)が軍事的抗争を繰り広げた動乱の世紀であり、嶋の地はヤマトの最前線基地として戦時下の緊張状態にありました。602年には聖徳太子の実弟来目皇子(くめのおうじ)が、撃新羅大将軍となってこの地に駐屯し、渡海の準備中に没しています。石ヶ元古墳群は、まさにこの激動の時代に造営された古墳群であり、副葬された金銅装の環頭大刀(かんとうたち)や金銀製の耳飾り、そしてさまざまな玉などの装身具から、鉄生産を経済的基盤として嶋の地に君臨した首長たちの姿を見てみたいと思います。


嶋・石ヶ元の首長たち


8号噴出土金銅単鳳環頭大刀

石ヶ元古墳群のある嶋の地は、律令下の筑前国嶋郡にあたり、その海浜は良質な砂鉄の産地でした。石ヶ元古墳群は、韓良(からかち)、久米(くめ)、登志(とし)、明敷(あかしき)、鶏永(けえ)、河邊(かわのべ)、志麻(しま)の7郷からなる嶋郡の河邊郷内にあり、ここに嶋郡の大領(たいりょう)(長官)を務める「肥君猪手(ひのきみいで)」の本拠地がありました。それは大宝2年(702)に作成された最古の戸籍「筑前国嶋郡戸籍河邊里」に記されています。河邊郷は嶋郡の中心地であり、その郷内に造営された石ヶ元古墳群が「大領、肥君猪手」の遠祖の墳墓であったかも知れません・・・。これは被葬者がこの地の相応な有力者であったことが、金銅で装飾された単鳳環頭大刀(たんほうかんとうたち)や金・銀製の耳飾り、ヒスイやメノウ製など多くの玉類など優れた副葬品から窺(うかが)い知ることができます。古墳群の造営された6世紀代の朝鮮半島は、百済と新羅が軍事的抗争を繰り広げ、倭は百済と同盟して鉄資源の豊かな半島南部への進出を図りました。嶋はその最前線基地であり、古墳に副葬された馬具や武器から勇躍する嶋の首長たちの姿を窺い描くことが出来るでしょう・・・。



8号噴 遺物出土状況

馬具のいろいろ

 馬具には、ウマを制御するものに轡(くつわ)と鞍(くら)、鐙(あぶみ)があり、轡はウマの頭を固定して騎手の意志をウマに伝えるもの、鞍と鐙は騎手の姿勢を安定させるのに用いました。この3点は、ウマを自由自在に乗りこなすためには不可欠な道具です。また、装飾的な馬具として顔や胸、尻を繋ぐ皮紐の繋ぎ目に用いた辻金具(つじかなぐ)、中央に雲珠(うず)を付け、紐の中ほどに付けられた杏葉(ぎょうよう)や馬齢(ばれい)、そして胸にさげた馬鐸(ばたく)があります。これらの多くの装飾具:アクセサリーは全体に金メッキを施したものが多く、ウマの動きに合わせて金色に輝き、荘厳(そうごん)・華麗(かれい)に見えたことでしょう。



馬具の装着図

装身具のいろいろ

 装身具は本来身を飾るものですが、魔除け(まよけ)と云う呪術的な目的もあったようです。更に弥生時代には、支配者の権威を象徴すると云う意味も加わったようです。朝鮮半島から金工技術が伝わった5世紀代になるとその傾向は一層顕著になり、金や銀、金銅で作られた冠や耳飾り、首飾り、腕飾り、指輪などさまざまなものが作られました。なかでも冠には、金メッキした装飾が施され、その光り輝く様はまさに王者の象徴であったようです。耳飾りは、素朴な円形のもののほかに鎖や中空の玉にハート形や山梔子(くちなし)の実の形をした垂飾りを付けた垂飾付耳飾りがありますが、これも冠と同じように有力な首長たちの装飾品だったようです。このほかにヒスイやメノウ、碧玉(へきぎょく)、ガラスなどを繋いで首飾りや腕飾りにしたものもあります。


吉武大刀

 古墳から出土する鉄刀には、柄頭(つかがしら)や柄、鞘(さや)に金メッキや象嵌(ぞうがん)で装飾をした豪華な大刀があります。この装飾大刀には、柄頭の形によって環頭大刀(かんとうたち)、円頭(えんとう)大刀、圭頭(けいとう)大刀、頭椎(かぶつち)大刀、方頭(ほんとう)大刀などに種別されます。このうち環内に龍(りゅう)や鳳凰(ほうおう)の文様を象った環頭大刀が5世紀後半頃に朝鮮半島より伝来し、6世紀になると次第にこの環頭大刀が国産化されて広く普及するようになります。このほか獅子を象った獅噛(ししがみ)環頭大刀や3枚の葉を象った三葉(さんよう)環頭大刀、3つの輪を繋げた三累(さんるい)環頭大刀、そして圭頭、円頭、頭椎大刀などがありますが、いずれの大刀も主流にはなりませんでした。その理由は明確ではありませんが、それは支配者たちの龍や鳳凰に対する強い憧れがあったのかも知れません・・・。
(小林義彦)

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