平成16年7月21日(水)~9月20日(月・祝)
3、「大水牛」と「桃形」のひろまり
「大水牛」は藩主だけでなく、家臣団の兜にも類似したものを見ることが出来ます。黒田二十四騎のなかでは黒田一成(くろだかずなり)(18)や久野重勝(ひさのしげかつ)等が長大な脇立を備えた兜を着用しています。また、築城の名人野口一成(のぐちかずなり)(19)と名槍日本号(にっぽんごう)で有名な母里友信(もりとものぶ)の兜は、それぞれ赤と黒の水牛兜として双璧をなし、ともにその武功を称えられていました。ただし、これらの兜は、当然ながら、脇立の大きさや華やかさについては長政のものよりも控えめに作られています。
また、桃の実に似た「桃形(ももなり)」という形の兜も福岡藩では数多く見られました(24・25・26)。2枚の鉄板を接(は)ぎ合わせて作る製作方法が量産に向いていたという理由や、南蛮(なんばん)兜との関係もありますが、長政の兜の影響があったということも指摘できるでしょう。
これらは上級家臣の甲冑から番具足(ばんぐそく)と呼ばれる軽装の甲冑までひろく見られた現象でした。お抱え甲冑師田中家には数多くの甲冑製作注文書が残されていますが、その半数近くに「桃形」を確認できます。この傾向は福岡藩の支藩秋月(あきづき)藩でも見られ、島原の乱を描いた屏風には桃形兜を着用した兵士が多数描かれています。ちなみに、旧柳河(やながわ)藩主立花(たちばな)家には金箔が施された桃形兜が400頭も残されています。福岡城の武具櫓(ぶぐやぐら)にもかつては黒漆塗の桃形兜が多数保管されていたのかもしれません。
18. 銀大中刳大?旗脇立頭形兜 (黒田一成) (ぎんおおなかぐりおおたてもの わきだてずなりかぶと) |
19. 朱漆塗刳半月脇立頭形兜 (野口一成) 紺糸威胴丸具足 |
20. 六十二間阿古陀形牛角脇立筋兜 茶糸威胴丸具足(光冨氏) |
おわりに
江戸時代は現在とは比べ物にならないくらい外見が重視される世の中でした。戦場にあっては、敵と味方を区別するために、そして、平和な時代にあっては、身分の違いを相手に一目で分からせるために、髪型から服装に至るまで事細かな決まりがありました。甲冑を通してそのような江戸時代の特徴を感じて頂ければと思います。
(宮野弘樹)
展示資料の内、1~9・16は黒田資料、11・13~15・21は大多和歌子氏、17・30は田中雄助氏、18・22は黒田一敬氏、20は光冨勝義氏、24は加藤卓氏、25は伊丹修氏、26は喜多嶋眞氏、28は清水駿一氏、29は眞子静夫氏の寄贈です。
主要参考文献
徳島城博物館『蜂須賀家の甲冑-武家の象徴-』1995年
神奈川県立博物館『変わり兜-戦国の奇想天外-』2002年
彦根城博物館『井伊家の赤備え』2003年