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No.249

黒田記念室

黒田家ゆかりの馬具と馬術書

平成16年9月22日(水)~11月14日(日)

21.若槻家伝馬書 長政が学んだ馬の医学書
21.若槻家伝馬書
長政が学んだ馬の医学書

はじめに

 江戸時代の馬は、軍馬・神馬(じんめ)・農耕馬・荷馬等々多種多様な役割を担わされていました。
今回は、その中の軍馬、つまり、武士と馬との関係に注目し、馬上の肖像画、鞍(くら)や鐙(あぶみ)等の馬具、様々な流派の馬術書や馬の医術書を紹介します。


1、馬と武士

 肖像画にはその人の職業や好みを反映させたものが数多く見られます。例えば商人なら「そろばん」、学者なら「本」のように。武士の場合は「馬」がそれに該当するでしょう。

1.黒田長政像
1.黒田長政像

 福岡藩初代藩主である黒田長政(くろだながまさ)の肖像画は馬上の姿を描いたものとして有名です。長政は戦国時代を生き抜いた武将らしく、歴代藩主の中でも特に馬術を重んじた人物でした。息子の忠之(ただゆき)に対しては「馬并(ならびに)物を書事の稽古斗可被仕候(ばかりつかまつらるべくそうろう)」とか「馬乗候儀、野などにてのせ、いかにもたくさんに乗候様二可申(もうすべく)候、むちをもたくさんに打候様二可仕(つかまつるべく)候」といったように、常々乗馬の重要性を説いていました。ちなみに、京都で没するときには「大鹿毛(おおかげ)」という秘蔵の馬が時を同じくして死んだと伝えられています。

 馬上の肖像画は今回他に3点登場しますが、彼らにとって戦場で生死を共にした愛馬は、後世にもその勇姿を伝えたい、かけがえのない存在だったのでしょう。

 なお、福岡藩主と馬について見ていくと、2代藩主の忠之もそのような話題に事欠きません。忠之は良馬を自給するために大島(おおしま)(現宗像郡大島村)に牧場を設置したり、桜井神社(さくらいじんじゃ)の境内に馬場を築かせたり、家臣に対しては良い馬の見分け方を教授したりしています。特に忠之は目の縁が白い「佐白馬(さめうま)」を珍重した様で、家臣に何度も買いにいかせています。また、9代斉隆(なりたか)は寛政7(1795)年に船と馬とを競走させています。箱崎から荒戸山(あらとやま)まで約6キロ。レースはわずかの差で馬の勝利に終わりますが、ここには戯れのためにではなく、武事調練を目的に馬の実力を試そうとする藩主の姿を見ることが出来ます。

参考:追廻馬場の図(「正保福博惣図」より)
参考:追廻馬場の図
(「正保福博惣図」より)

 馬に関する役職は、牧場の管理を行う「牧奉行」や「馬医」、「馬捕」といったものが早くから存在しています。その後、元禄(げんろく)元(1688)年には家臣の馬のチェックや飼料の管理を行う「馬奉行」が置かれるなど、徐々に馬関係の役職が整備されていきました。

 馬に乗る場所については、福岡城追廻門(おいまわしもん)前(現護国神社付近)や城内三ノ丸下等に馬場が置かれていました。ここでは正月行事の「乗初(のりぞ)め」や、藩主による馬の上覧や調練が行われていました。

 また、馬は贈答品としても使われました。長政は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)からは、豊前の犬丸城(いぬまるじょう)攻略や朝鮮での活躍を賞され、また、徳川家康(とくがわいえやす)からは、関ヶ原の合戦の折に、秘蔵の馬を拝領しています。一方、忠之は幕閣の土井利勝(どいとしかつ)・酒井忠勝(さかいただかつ)の子息らへ大島の白馬と鹿毛ぶち馬を贈っています。その他にも藩士らの働きに対して馬を与える話は数多くありますが、なかには一度与えた馬を召し上げ、また別の人物に与えるというようなことも行われていました。

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