平成16年9月28日(火)~平成17年3月27日(日)
一、供養(くよう)の意味
チューペー・マンダラ (供物マンダラ) |
私たちに身近な仏教文化のひとつに「供養(くよう)」があります。一般に、供養とは三宝(さんぽう)(仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう))に対して衣食などの品物を施すことをいい、経典にはこの行為により功徳(くどく)を積み、様々なご利益(りやく)を得ることができると説かれています。
仏壇にお供え物をしたり、法事の際にお坊さんにお布施(ふせ)を差し上げることは、まさしくこの供養にあたります。また、先祖の墓にお参りして花や水を供えるという習慣も、死者が成仏(じょうぶつ)すること、つまり死者イコール仏(ほとけ)という考えにもとづいた供養のかたちといえるでしょう。
供養は、もともとはインドにあった習慣が仏教に取り入れられたもので、プージャー(=尊敬)という言葉が語源になっているといわれます。つまり、供養とは仏を敬(うやま)うことをあらわす行為に他なりません。仏像に対して合掌し、花や水・灯明(とうみょう)・香(こう)を供え、仏の名を唱えることも、実は仏に対する尊敬をかたちにしたものなのです。
このようにみると、供養は私たちの日常的な人間関係と極めて似ていることに気が付きます。それは、例えば大切な相手に向かってお辞儀をし、素敵な品物をプレゼントし、そして言葉で褒(ほ)め讃(たた)えることと全く同じだからです。そして相手が喜んでこちらの働きかけに応(こた)えてくれた時、そこに初めてコミュニケーションが成立します。供養の場合も同じであり、ご利益は仏と人との関係が成立した証(あかし)ということになるでしょう。
ところで、供養は仏教とともにアジア各地に広がりました。そのため、供養に用いられる供物(くもつ)や、これを供えるための供養具(くようぐ)には、その地域の生活習慣と結びついた多様性がみられます。また、供養の仕方も、素朴なものから高度に発達した儀礼的なものまで様々です。
この展示では、南蔵院(なんぞういん)寄贈のチベット仏教コレクションをもとに、チベット仏教の中で用いられる供物と供養具を紹介します。私たちにとって身近な供養という行為が、異文化の中でどのように変容するか、チベット仏教を通して考えてみたいと思います。
二、チベットの供物
チベット仏教では、日本でもお馴染みの水や灯明、香などのほか、独特の供物をいくつかみることができます。
白い帯状の布「カタ(礼巾(れいきん))」は、一般の信者が仏や高僧に敬意をあらわすために捧げる供物です。また、金銀や穀物を詰めて須弥山(しゅみせん)(世界の中心にそびえる山)をかたどった「チューペー(供物)マンダラ」は、最上の供物とされ、そこには世界の全てを仏に捧げるという意味が込められています。
米や大麦の粉と水・バターを練り合わせて様々な形にした「トルマ(供物)」は、仏前に供える供物のほか、祭礼の際に悪霊を封じ込める形代(かたしろ)、あるいは神仏の象徴としても用いられます。トルマには普通鮮やかな着色や飾りが施され、その形は用途によって異なります。中でもタケノコのような円錐形のものは福徳を象徴するとされ、法要後にお菓子として参拝者に配られます。
ちなみに、大阪の万博公園にある岡本太郎作「太陽の塔」もチベットのトルマをモデルにしているという説があります。(長野泰彦「岡本太郎とトルマ」月刊みんぱく平成16年7月号)。なるほど、そういえばよく似ているような気がします。
トルマ(供物) |