平成16年11月16日(火)~平成17年1月16日(日)
2. 競馬絵図馬(部分) |
幕府や大名の庇護(ひご)を受け、一定の俸給を得てその用命に応じた制作を行う絵師たちを、御用絵師(ごようえし)といいます。徳川幕府に仕えた狩野(かのう)派がその代表です。筑前福岡(ちくぜんふくおか)藩にも、同じように御用絵師がいました。尾形(おがた)家や衣笠(きぬがさ)家、上田家などの福岡の御用絵師たちは、中央の狩野派と師弟関係を結び、代々福岡藩主黒田家に仕えました。
この展覧会は、当館が近年収集した絵画資料のうち、福岡の御用絵師の作品を選んで展示しています。ここでは、今回展示しているものの中から最も注目される画家と作品について解説します。
まずとりあげるのは狩野昌運(しょううん)(1637~1702)。もともと昌運は狩野派の宗家を嗣いだ狩野安信(やすのぶ)(1614~85)の弟子であり、安信の晩年はその代筆を勤めたといわれ、没後は江戸狩野の中心的画家として活躍していた徳川幕府の御用絵師でした。昌運が福岡藩の御用絵師となったのは、黒田家4代藩主綱政(つなまさ)の要請に応えたもので元禄3年(1690)頃のことと考えられています。絵画を愛好した綱政は安信や昌運から画技を学んでおり、また黒田家と昌運には人的な結びつきもあって、御用絵師にと望まれたのでしょう。当然ながら尾形家や衣笠家の絵師たちとは別格の扱いで、綱政の参勤交代にも付き従い、藩主直々の用命によって多くの作品を制作しました。
今回展示している4点はそれぞれに特色ある作品ですが、中でも「競馬図絵馬(くらべうまずえま)」は綱政との結びつきや福岡藩における昌運の重要な役割を示すものとして貴重です。
3. 競馬絵図馬(福岡市有形民俗文化財) |
画題の競馬とは、毎年5月の節会(せちえ)に京都の加茂神社で行われた宮中の行事で、2頭の馬を直線で走らせて競わせるもの。昌運は疾駆する2頭の馬と騎手の姿を絹地に鮮やかな彩色で表現しています。この絵馬の背面には「画図一扁奉掲 青木神社広前 元禄十四辛巳十一月十八日 筑前国主従四位下行侍従兼肥前守源朝臣綱政」の墨書銘があり、藩主綱政が現在福岡市西区にある八雲(やくも)神社(旧青木神社)に奉納したものであることがわかります。『黒田新続家譜』によれば、元禄14(1701)年11月に綱政は領内の主な神社に自ら描いた絵馬を奉納しました。また同時に愛宕(あたご)神社には昌運筆の絵馬が奉納されたことも記されています。この作品も同時期に描かれ、青木神社に奉納されたものでしょう。翌年に昌運は没していますから「競馬図絵馬」は最晩年の作に位置づけられます。
自ら絵をたしなんだ藩主綱政とその絵画の師でもあった昌運。ふたりがともに絵馬を制作し、領内の神社に奉納した記録が事実であることをこの作品は証明しています。またそこには、一般的な御用絵師と大名の関係を超えた2人の親交も感じられ、昌運の果たした役割の大きさが窺われるのです。