平成17年1月25日(火)~3月27日(日)
海と民俗行事
漁村に伝わる民俗行事は、それを伝承してきた人びとの暮らしと切り離して考えることはできません。いろいろな祭りの中には生活の基盤である漁業の性格が反映されているのです。福岡の漁村では、エビス神に関連する祭りにその特徴を見いだすことができるでしょう。海から現れ来る神としてのエビスは、魚群の来訪を願う網漁民の志向と絡み合いながらさまざまな姿をみせています。
鯛網に関していえば、西浦では鯛網のためのエビスをまつっていましたし、正月のエビス祭りでエビスが持つタイ、9月におこなわれる祭り「ヒョーカリライ」に掲げられる幟などは人びとの記憶の中で、海面が赤くなるほどの鯛の群れと重ね合わされていました。
海苔養殖に見る博多湾の変化
博多湾の海苔(のり)養殖は、明治27年に箱崎の山崎親次郎によってはじめられたとされています。しかし、すぐに猪野(いの)(久山(ひさやま)町)に銅山が開発され、その鉱害によって生産は中止に追い込まれました。銅山閉山後、昭和になって海苔養殖が再開されると、その区域は次第に広がり、浜崎今津、姪浜、志賀島、奈多でも生産が始まりました。戦後、それまで割竹に付かせていた海苔を網に付ける網ヒビが導入され、博多湾の海苔養殖は急成長を遂げます。この時期には「博多湾ノリ」として各地に出荷されていました。しかし昭和50年代後半、博多港の港湾整備に伴い、湾奥部の養殖域がほとんど消え、生産量は大幅に減少していきました。
(松村利規)
明治24年の漁場区域 |