平成17年3月23日(水)~5月22日(日)
第二室 大名道具の世界
武家の用いる道具には通常自家の家紋(かもん)が入ります。黒田家の場合は藤巴紋(ふじどもえもん)と石餅紋(こくもちもん)が使われます。第1室では藩主個人に注目しましたが、ここでは、「家」を象徴する大名道具と、そこにおける家紋の使われ方を見ていきます。
1.武家のなかの藤巴・石餅
36 藤巴後立付鉄錆地三十八間星兜 |
歴代藩主所用の甲冑(かっちゅう)を見ると、3代光之以降の代に藤巴の意匠が登場してきます。多くは手甲(てっこう)や鋲(びょう)の装飾として控えめに使われていますが、中には4代綱政・9代斉隆が用いた巨大な藤巴の立物(たてもの)を具えた兜もあります。陣羽織(じんばおり)等で使用されるのも多くは藤巴です。
一方、石餅紋は軍船に掲げる旗に使われていることが長崎警備の図等からも知られます。また、武具を収納する櫃(ひつ)や箱も大きな石餅紋があしらわれています。物や部隊を判別するという意味ではシンプルな石餅紋が重宝されたのでしょう。
2.調度の中の藤巴・石餅
調度品は歴代藩主が用いた甲冑のように、その使用者が判明する場合はあまり多くありません。ただ、他家の家紋がある物(63は本多(ほんだ)家の三本立葵紋(さんぼんだちあおいもん)、62は島津家の丸に十字紋)については、婚姻関係、養子関係等を見れば有る程度は使った人物を特定できます。
また、藤巴と石餅の使い分けという面を見ると、武具ほど明確な違いは見出せませんが、全体として、藤巴の数の方が勝っていると言えます。これは、調度品というものが多くは儀礼的な場面や奥向きで使用される、ということと関係が有るのかもしれません。
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おわりに
今回は黒田家関係の武具・絵画・書跡・調度から大名文化の一端を紹介しました。公的な文書や記録からは伝わってこない、各藩主の人物像や武家の生活の様子を感じ取っていただければ幸いです。
(宮野弘樹)