平成17年7月20日(水)~9月19日(月・祝)
『赤毛のアン』には、主人公のアンが、髪の毛の色をからかった同級生のギルバートの頭に 石盤(せきばん)を振り下ろして、石盤を真っ二つに割ってしまうという場面があります。この場面は、1877年9月、アンが11歳の時の出来事として描かれています。アンが小学校へ通っていたのと同じ頃、明治5(1872)年の学制からスタートした日本の小学校でも、小学生は石盤に 石筆(せきひつ)で文字を練習していました。 普段、何気なく使っている道具にも、さまざまな歴史があります。今回の展示では、身近な道具の一つである筆記具の近代史を紹介します。 「筆」の時代
徳川家康(とくがわいえやす)(1542~1616 )や伊達政宗(だてまさむね)(1567~1632)の遺品の中から鉛筆が発見されていますが、本格的に日本で鉛筆が使われるようになるのは、明治時代になってからのことです。鉛筆やペンなどの硬筆が一般的になる以前は、毛筆=筆がもっとも基本的な筆記具でした。また、筆を携帯するための道具である矢立(やたて)は、日本独自の道具のようです。 祝部至善(ほうりしぜん)が、昭和30年頃に明治の頃の博多の風俗を描いた絵のなかに、「もぐさ売り」が腰に矢立を差している図があります。 筆記具の文明開化
1560年代にイギリスで良質の 黒鉛(こくえん)が発見され、筆記具として利用されるようになりました。鉛筆の歴史はここから始まるといってよいでしょう。最初は、黒鉛の固まりを棒状にして、木に挟んだり布を巻いたりして使っていました。18世紀末には、黒鉛の粉と粘土を混ぜ合わせて焼き固めるという芯の製造方法が開発され、現在も基本的にはこの方法で鉛筆の芯がつくられています。 |