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No.269

考古・民俗展示室

那津官家とその時代

平成17年11月1日(火)~平成18年1月15日(日)

日本書記・古事記に見られるミヤケ
天皇年  西暦  日本書記  古事記  場所備考
1垂仁27年 前3年 来目邑(くめむら)の屯倉    
2景行52年 
127年 諸国に田部と屯倉 倭屯家  
3仲哀2年
193年 淡路(あわじ)屯倉 淡路之屯倉  
4仁徳即位前 310年 倭の屯田と屯倉    
5仁徳13年 325年 茨田(まんだ)屯倉 茨田三宅 河内 春米部を定める
6仁徳43年 
355年 依網(よさみ)屯倉   河内 屯倉の管理・阿珥古(あびこ)
7履中即位前 399年 村合(むらはせ)屯倉   不祥仲皇子を殺した恩賞
8履中元年 400年 蒋代(こもしろ)屯倉   大和淡路の野鳥の猟師を屯倉で労に服す
9安康 454~455年   五虜之屯宅  大和
10清寧2年 481年 縮見(しじみ)屯宅   播磨 屯倉の管理・忍海部造細目
11継体8年 514年 匝布(さほ)屯倉    大和 皇子の妃に対して設置
12継体22年 528年 糟屋(かすや)屯倉   筑紫 筑紫君磐井の乱の贖罪
13安閑元年 534年 伊甚(いすみ)屯倉   武蔵 春日皇后への罪の贖罪
14安閑元年 534年 小墾田(おはりだ)屯倉   大和 紗手媛に対して
15安閑元年 534年 桜井(さくらい)屯倉   河内 香香有媛に対して
16安閑元年 534年 茅渟(ちぬやま)屯倉   和泉 香香有媛に対して
17安閑元年 534年 難波(なにわ)屯倉   河内 宅媛に対して
18安閑元年
534年 竹村(たかふ)屯倉   河内 県主飯粒が土地四十町を献上。
大河内直味張が贖罪で献上。
19安閑元年 534年 廬城部(いおきべ)屯倉   安芸 娘の幡媛の贖罪
20安閑元年
534年 横渟(よこぬ)屯倉   武蔵笠原小杵との調停に対する代償
21安閑元年 534年 橘花(たちばな)屯倉   武蔵笠原小杵との調停に対する代償
22安閑元年 534年 多氷(おおひ)屯倉   武蔵笠原小杵との調停に対する代償
23安閑元年 534年 倉樔(くらす)屯倉   武蔵笠原小杵との調停に対する代償
24安閑2年 535年 穂波(ほなみ)屯倉   筑紫
25安閑2年 535年 鎌(かま)屯倉   筑紫
26安閑2年
535年 湊碕(みさき)屯倉  
27安閑2年
535年 桑原(くわばら)屯倉  
28安閑2年
535年 肝等(かと)屯倉  
29安閑2年
535年 大抜(おおぬき)屯倉  
30安閑2年
535年 我鹿(あか)屯倉  
31安閑2年
535年 春日部(かすがべ)屯倉  
32安閑2年 535年 越部(こしべ)屯倉   播磨
33安閑2年 535年 牛鹿(うしか)屯倉   播磨
34安閑2年 535年 後城(しつき)屯倉   備後
35安閑2年 535年 多禰(たね)屯倉   備後
36安閑2年
535年 来履(くくつ)屯倉   備後
37安閑2年 535年 葉稚(はわか)屯倉   備後
38安閑2年 535年 河音(かわと)屯倉   備後
39安閑2年 535年 膽殖(いにえ)屯倉   婀娜
40安閑2年 535年 膽年部(いとしべ)屯倉   婀娜
41安閑2年 535年 春日部(かすがべ)屯倉   阿波
42安閑2年
535年 経湍(ふせ)屯倉  
43安閑2年 535年 河辺(かわべ)屯倉  
44安閑2年 535年 蘇斯(そしき)屯倉   丹波
45安閑2年 535年 葦浦(あしうら)屯倉   近江
46安閑2年 535年 間敷(ましき)屯倉   尾張
47安閑2年 535年 入鹿(いるか)屯倉   尾張
48安閑2年
535年 緑野(みどの)屯倉   上野毛
49安閑2年 535年 稚贄(わかにえ)屯倉   駿河
50安閑2年
535年 屯倉の税   桜井田部連、県犬養連、難波吉士
51宣化元年
536年 茨田(まんだ)郡屯倉   河内 阿蘇君
52宣化元年 536年 尾張の国の屯倉   尾張 蘇我大臣稲目宿禰、尾張連
53宣化元年 536年 新家(にいや)屯倉   伊勢 物部大連麁鹿火、新家連
54宣化元年
536年 伊賀の国の屯倉   伊勢 阿部臣、伊賀臣
55宣化元年 536年 那津(なのつ)官家   筑紫
56欽明16年 555年 白猪(しらい)屯倉   吉備 蘇我大臣稲目宿禰、穂積磐弓臣
57欽明17年 536年 児島(こじま)郡屯倉   備前 蘇我大臣稲目宿禰らが設置、葛城山田直端子を田令
58欽明17年
536年 韓人大身狭(からひとのおおむさ)屯倉   大和 韓人の田部
59欽明17年 536年 高麗人小身狭(こまひとのおおむさ)屯倉   大和 高麗人の田部
60欽明17年 536年 海部(あまべ)屯倉  
61推古15年 607年 各国に屯倉   大和、山背、河内に池、大溝の掘削
62皇極2年 643年 深草(ふかくさ)屯倉   山背
63大化元年 645年 官家   東国 官家の管理に関すること
64大化2年 646年 屯倉   河内 改新の詔・屯倉の廃止
65大化2年 646年 子代(こしろ)屯倉   河内 難波狭屋部邑に行宮を建てる

宣化天皇2年(「全現代語訳 日本書記」より引用)

  夏5月1日、詔して、「食は天下の本である。黄金が万貫あっても、飢えをいやすことはできない。真珠が千箱あっても、どうしてこごえるのを救えようか。筑紫の国は、遠近の国々が朝貢してくる所であり、往来の関門とする所である。このため海外の国は、潮の流れや天候を観測して貢ぎをたてまつる。応神天皇から今に至るまで、籾種を収めて蓄えてきた。凶年に備え賓客をもてなし、国を安んずるのに、これに過ぎるものはない。そこで自分も阿蘇君を遣わして、尾張国の屯倉の籾を運ばせよ。物部大麁鹿火は新家連を遣わして、新家屯倉の籾を運ばせよ。阿部臣は伊賀臣を遣わして、伊賀国の屯倉の籾を運ばせよ。官家を那津の口(博多大津)に建てよ。また、かの筑紫・肥後・豊国の三つの国の屯倉は、それぞれはなれへだたり。もし、それを必要とする場合には、急に備えることが難しい。諸部に命じて分け移し、那津の口に集め建て、非常に備えて民の命を守るべきである。早く郡県に下令して、私の心を知らしめよ」と仰せられた。
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