平成17年11月1日(火)~平成18年1月15日(日)
日本書記・古事記に見られるミヤケ | ||||
天皇年 | 西暦 | 日本書記 | 古事記 | 場所備考 |
1垂仁27年 | 前3年 | 来目邑(くめむら)の屯倉 | ||
2景行52年 |
127年 | 諸国に田部と屯倉 | 倭屯家 | |
3仲哀2年 |
193年 | 淡路(あわじ)屯倉 | 淡路之屯倉 | |
4仁徳即位前 | 310年 | 倭の屯田と屯倉 | ||
5仁徳13年 | 325年 | 茨田(まんだ)屯倉 | 茨田三宅 | 河内 春米部を定める |
6仁徳43年 |
355年 | 依網(よさみ)屯倉 | 河内 屯倉の管理・阿珥古(あびこ) | |
7履中即位前 | 399年 | 村合(むらはせ)屯倉 | 不祥仲皇子を殺した恩賞 | |
8履中元年 | 400年 | 蒋代(こもしろ)屯倉 | 大和淡路の野鳥の猟師を屯倉で労に服す | |
9安康 | 454~455年 | 五虜之屯宅 | 大和 | |
10清寧2年 | 481年 | 縮見(しじみ)屯宅 | 播磨 屯倉の管理・忍海部造細目 | |
11継体8年 | 514年 | 匝布(さほ)屯倉 | 大和 皇子の妃に対して設置 | |
12継体22年 | 528年 | 糟屋(かすや)屯倉 | 筑紫 筑紫君磐井の乱の贖罪 | |
13安閑元年 | 534年 | 伊甚(いすみ)屯倉 | 武蔵 春日皇后への罪の贖罪 | |
14安閑元年 | 534年 | 小墾田(おはりだ)屯倉 | 大和 紗手媛に対して | |
15安閑元年 | 534年 | 桜井(さくらい)屯倉 | 河内 香香有媛に対して | |
16安閑元年 | 534年 | 茅渟(ちぬやま)屯倉 | 和泉 香香有媛に対して | |
17安閑元年 | 534年 | 難波(なにわ)屯倉 | 河内 宅媛に対して | |
18安閑元年 |
534年 | 竹村(たかふ)屯倉 | 河内 県主飯粒が土地四十町を献上。 大河内直味張が贖罪で献上。 |
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19安閑元年 | 534年 | 廬城部(いおきべ)屯倉 | 安芸 娘の幡媛の贖罪 | |
20安閑元年 |
534年 | 横渟(よこぬ)屯倉 | 武蔵笠原小杵との調停に対する代償 | |
21安閑元年 | 534年 | 橘花(たちばな)屯倉 | 武蔵笠原小杵との調停に対する代償 | |
22安閑元年 | 534年 | 多氷(おおひ)屯倉 | 武蔵笠原小杵との調停に対する代償 | |
23安閑元年 | 534年 | 倉樔(くらす)屯倉 | 武蔵笠原小杵との調停に対する代償 | |
24安閑2年 | 535年 | 穂波(ほなみ)屯倉 | 筑紫 | |
25安閑2年 | 535年 | 鎌(かま)屯倉 | 筑紫 | |
26安閑2年 |
535年 | 湊碕(みさき)屯倉 | 豊 | |
27安閑2年 |
535年 | 桑原(くわばら)屯倉 | 豊 | |
28安閑2年 |
535年 | 肝等(かと)屯倉 | 豊 | |
29安閑2年 |
535年 | 大抜(おおぬき)屯倉 | 豊 | |
30安閑2年 |
535年 | 我鹿(あか)屯倉 | 豊 | |
31安閑2年 |
535年 | 春日部(かすがべ)屯倉 | 火 | |
32安閑2年 | 535年 | 越部(こしべ)屯倉 | 播磨 | |
33安閑2年 | 535年 | 牛鹿(うしか)屯倉 | 播磨 | |
34安閑2年 | 535年 | 後城(しつき)屯倉 | 備後 | |
35安閑2年 | 535年 | 多禰(たね)屯倉 | 備後 | |
36安閑2年 |
535年 | 来履(くくつ)屯倉 | 備後 | |
37安閑2年 | 535年 | 葉稚(はわか)屯倉 | 備後 | |
38安閑2年 | 535年 | 河音(かわと)屯倉 | 備後 | |
39安閑2年 | 535年 | 膽殖(いにえ)屯倉 | 婀娜 | |
40安閑2年 | 535年 | 膽年部(いとしべ)屯倉 | 婀娜 | |
41安閑2年 | 535年 | 春日部(かすがべ)屯倉 | 阿波 | |
42安閑2年 |
535年 | 経湍(ふせ)屯倉 | 紀 | |
43安閑2年 | 535年 | 河辺(かわべ)屯倉 | 紀 | |
44安閑2年 | 535年 | 蘇斯(そしき)屯倉 | 丹波 | |
45安閑2年 | 535年 | 葦浦(あしうら)屯倉 | 近江 | |
46安閑2年 | 535年 | 間敷(ましき)屯倉 | 尾張 | |
47安閑2年 | 535年 | 入鹿(いるか)屯倉 | 尾張 | |
48安閑2年 |
535年 | 緑野(みどの)屯倉 | 上野毛 | |
49安閑2年 | 535年 | 稚贄(わかにえ)屯倉 | 駿河 | |
50安閑2年 |
535年 | 屯倉の税 | 桜井田部連、県犬養連、難波吉士 | |
51宣化元年 |
536年 | 茨田(まんだ)郡屯倉 | 河内 阿蘇君 | |
52宣化元年 | 536年 | 尾張の国の屯倉 | 尾張 蘇我大臣稲目宿禰、尾張連 | |
53宣化元年 | 536年 | 新家(にいや)屯倉 | 伊勢 物部大連麁鹿火、新家連 | |
54宣化元年 |
536年 | 伊賀の国の屯倉 | 伊勢 阿部臣、伊賀臣 | |
55宣化元年 | 536年 | 那津(なのつ)官家 | 筑紫 | |
56欽明16年 | 555年 | 白猪(しらい)屯倉 | 吉備 蘇我大臣稲目宿禰、穂積磐弓臣 | |
57欽明17年 | 536年 | 児島(こじま)郡屯倉 | 備前 蘇我大臣稲目宿禰らが設置、葛城山田直端子を田令 | |
58欽明17年 |
536年 | 韓人大身狭(からひとのおおむさ)屯倉 | 大和 韓人の田部 | |
59欽明17年 | 536年 | 高麗人小身狭(こまひとのおおむさ)屯倉 | 大和 高麗人の田部 | |
60欽明17年 | 536年 | 海部(あまべ)屯倉 | 紀 | |
61推古15年 | 607年 | 各国に屯倉 | 大和、山背、河内に池、大溝の掘削 | |
62皇極2年 | 643年 | 深草(ふかくさ)屯倉 | 山背 | |
63大化元年 | 645年 | 官家 | 東国 官家の管理に関すること | |
64大化2年 | 646年 | 屯倉 | 河内 改新の詔・屯倉の廃止 | |
65大化2年 | 646年 | 子代(こしろ)屯倉 | 河内 難波狭屋部邑に行宮を建てる | |
宣化天皇2年(「全現代語訳 日本書記」より引用) 夏5月1日、詔して、「食は天下の本である。黄金が万貫あっても、飢えをいやすことはできない。真珠が千箱あっても、どうしてこごえるのを救えようか。筑紫の国は、遠近の国々が朝貢してくる所であり、往来の関門とする所である。このため海外の国は、潮の流れや天候を観測して貢ぎをたてまつる。応神天皇から今に至るまで、籾種を収めて蓄えてきた。凶年に備え賓客をもてなし、国を安んずるのに、これに過ぎるものはない。そこで自分も阿蘇君を遣わして、尾張国の屯倉の籾を運ばせよ。物部大麁鹿火は新家連を遣わして、新家屯倉の籾を運ばせよ。阿部臣は伊賀臣を遣わして、伊賀国の屯倉の籾を運ばせよ。官家を那津の口(博多大津)に建てよ。また、かの筑紫・肥後・豊国の三つの国の屯倉は、それぞれはなれへだたり。もし、それを必要とする場合には、急に備えることが難しい。諸部に命じて分け移し、那津の口に集め建て、非常に備えて民の命を守るべきである。早く郡県に下令して、私の心を知らしめよ」と仰せられた。 |