平成18年1月17日(火)~平成18年4月9日(日)
はじめに
正月の「玉せせり」の玉(福岡市博多区) |
この展示は「共有」がテーマです。日々の暮らしのなかで、私たちは物を通してどのように周囲の人々とつながりあってきたのだろうか、ということを見ていきたいと思います。
言葉に厳密さを求めるならば「共同所有の一形態で、2人以上の者が同一物の所有権を量的に分有する状態」という法学的な語義に従う方法もあるでしょう。例えば2人が1個のリンゴを持っているとき、それぞれは持ち分であるリンゴの半分を食べてしまっても構わないし、半分にしたものを別の人にあげても構わないということです。
けれども、ふだん私たちはこのような狭い意味でのみ「共有」をしているわけではありません。インターネット上で「共有」を検索してみると、夥(おびただ)しい数の用例が表示されます。検索の場所柄、その多くは、情報等を共同して利用することが可能な状態を「共有」と表現しています。そこにはリンゴの例えのような物に対する所有権ではなく、知的財産の利用権といった意味合いが強く表れています。私たちはふだん、所有権と利用権の違いなど区別していません。両者は渾然一体(こんぜんいったい)となって「共有」に含まれているのです。
この状況は、グローバル化された現代社会とは異質の論理を持つ村落社会においても同様でした。さまざまな物、さまざまな情報が、私たちの生活のなかで「共有」され、社会をより安定したものへと導く働きをしてきたのです。
それでは「共有」をめぐる人々の営みを少し振り返ってみましょう。
農家の共有財産だった移動式籾摺り機(福岡市博多区) |
共有の財産
村落社会で共有される財産の多くは、村落(ムラ)やその小地域集団(クミなど)、あるいは年齢集団(若者組など)で持たれていました。そこには山・田畑・溜池(ためいけ)などの共有地をはじめ、集会所や共同風呂などの諸施設、共同飲食に使う膳椀(ぜんわん)などの什器(じゅうき)、漁村における網や船、祭りや信仰に関わる道具など、日々の暮らしに必要なさまざまなものが含まれていました。
このうち共有地には、江戸時代以前からの入会地(いりあいち)が共有の山になったものが多くありました。住民が山林や原野を共同で利用し、木や草などを利用したり、放牧をしたりする入会慣行は、高度経済成長期のエネルギー革命でその必要性が薄れるまで、村落成員の権利として続けられていました。また漁村における漁場の区画も入会の対象でした。土地の所有権ではありませんが、利用する権利としての入会もある種の「共有」でした。
いっぽうで共同飲食に使う膳椀などの什器類は、まさしく共同所有の財産でした。漁村における網や船、祭りや信仰に関わる道具なども、個人で実行するのが難しい事柄を集団で成そうとする場合に必要な備品だといえるでしょう。