平成18年11月14日(火)~平成19年1月14日(日)
4 逆松(壱岐神 )-枯れてなくなってしまった神木
4.「生ノ松跡」と記載された逆さ松(形相図) |
逆松(さかさまつ)(生松(いきまつ))は、神功皇后(じんぐうこうごう)が出兵の折、松の小枝を逆にさして戦勝を祈ったとき、その松が不思議に生きて栄えたことから名付けられたと伝えられています。この神木は、その後枯れてしまい(写真4)、幹だけが壱岐神社に奉納されています。現在、海岸に「逆松」という石碑が立てられている松は、逆松にそって生えた松であるといわれています。このように、逆松は枯れてなくなってしまった神木の事例といえるでしょう。
5 飛梅(太宰府天満宮)-飛梅で作られた天神さま
5.飛梅でつくられた渡唐天神像 |
菅原道真(すがわらのみちざね)が太宰府に左遷(させん)される時、京都の邸宅の梅に別れを惜しんで、「東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠みました。その梅はあとを慕い、一夜のうちに飛来したといわれ、飛梅(とびうめ)と呼ばれるようになりました。江戸時代の享保(きょうほう)元(1716)年、この飛梅の枯れ木で渡唐天神(ととうてんじん)と呼ばれる天神像(写真5)が製作されました。これは、神木で作られたということで、とくに 神聖な像として祭られたものと思われます。
6 御神木松(福岡城本丸)-お城に植えられたなぞの神木
福岡城を描いた絵図を見ると、城の守りを考えてたくさんの松が植えられていた様子がわかります。また、福岡城本丸を描いた江戸後期の図には、御殿(ごてん)の中庭に「御神木松」の名称で、一本の大松(写真6)が描かれています。その松は、特別な松であったことがわかりますが、いつ、誰が、なぜ植えたかということははっきりしません。現在、その松はなくなり、由緒不明のなぞの神木といえるでしょう。今後の解明が求められています。
( 林 文 理 )
6.福岡城本丸に植えられた御神木松 |