平成19年1月16日(火)~4月15日(日)
紀元前5世紀頃、インドで釈尊(ゴータマ・シッダールタ)がひらいた仏教は、中国や朝鮮半島などを経て日本へと伝えられました。その信仰によって生み出された仏教美術は、インドはもとよりアジアの国々や地域の文化の影響を色濃く留めています。
本展示では、このような仏教美術の魅力を、福岡市博物館がこれまで収集したり、各所蔵者からお預かりしている仏像や工芸作品を通じて紹介します。
様々な地域や時代の記憶を残す信仰のかたちは、私たちに何を語りかけてくれるのでしょうか。多様で奥深い仏教美術の世界をご覧下さい。
1、① 木造荼吉尼天騎狐像(もくぞうだきにてんきこぞう)
1躯 像高24.6センチ
② 木造弁才天座像(もくぞうべんざいてんざぞう)
1躯 像高22.1センチ 江戸時代(18~19世紀) 高倉一矢氏 寄贈
荼吉尼天は人の心の垢を食い尽くし幸福をもたらすインドの女神ですが、日本では稲荷神(いなりしん)と同じとみなされ狐に乗る姿であらわされました。弁才天は音楽と学問を司るインドの女神で、日本では財福神と考えられ、室町時代以降は七福神の1人として信仰されました。どちらの像も顔の表情や衣の表現が細やかであることから、江戸時代の中頃以降に専門の仏師によって作られたと考えられます。
木造菩薩立像 |
2、木造菩薩立像(もくぞうぼさつりゅうぞう)
1躯 像高116.0センチ 中国・宋~元時代(13世紀) 野見山英治氏 寄贈
全身を一木から彫り出したこの像は、額の上に仏像をあらわす特徴から観音菩薩とみられ、手には木の枝と壷のような持物(じもつ)を持っています。頭上に大きな髻(もとどり)をあらわし、華やかな瓔珞(ようらく)や胸飾りを着けるのは中国の菩薩像の伝統です。表情には写実的な感覚がみられることから、宋(そう)あるいは元(げん)の時代に制作されたと考えられます。
3、木造釈迦三尊像(もくぞうしゃかさんそんぞう)
3躯 総高 (釈迦)44.6センチ (文殊)72.2センチ (普賢)77.1センチ
中国・明時代(16世紀) 高原眞成氏 寄贈
釈迦如来は、象に乗る普賢菩薩(ふげんぼさつ)、獅子に乗る文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を伴い釈迦三尊像を構成します。この像は、表情や菩薩像の冠の形などにチベット仏教の影響が認められることから、中国で明(みん)時代に制作されたと考えられます。鮮やかな彩色が施された象や獅子に、西域風の衣装をまとった御者(ぎょしゃ)があらわされているのも珍しい表現です。
鍍金鐘 |
4、鍍金鐘(ときんしょう)
1口 総高52.8センチ 口径30.5センチ 朝鮮半島・高麗時代(13世紀) 志賀海神社 寄託
海の神を祀る志賀海神社に伝来した梵鐘です。作風から朝鮮半島で高麗(こうらい)時代に制作されたと考えられ、日本の梵鐘と比べて龍頭(りゅうず)や胴部のデザインが華やかで、鐘身には鍍金(金メッキ)の跡が残っています。日本にもたらされた朝鮮半島の梵鐘の中では最も豪華な作品のひとつです。
【重要文化財】
銅造菩薩坐像 |
5、銅造菩薩坐像(どうぞうぼさつざぞう)
1躯 像高74.4センチ 朝鮮半島・高麗時代(14世紀) 個人 寄託
福岡県二丈町の一貴山夷巍寺(いきさんいきじ)に伝えられた銅製の菩薩像です。作風から朝鮮半島で高麗時代に制作されたと考えられます。長崎県壱岐市の金谷寺(きんこくじ)にはこれとほぼ同じ形の像が伝わっていて、もとは三尊像の両脇侍(きょうじ)の関係にあったと考えられます。現状では宝冠が失われ、胸や膝には別材製の瓔珞(ようらく)を取り着けた釘孔が残っています。
木造毘沙門天立像 |
6、木造毘沙門天立像(もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう)
1躯 像高181.5センチ 平安時代(11~12世紀) 個人 寄託
四天王のうち北方を守護する多聞天(たもんてん)は別名毘沙門天とも呼び、戦勝や財福の神として単独で信仰されることがあります。兜を着け戟(げき)と宝塔(ほうとう)を持つ本像は、ゆったりと腰を捻る姿やボリュームのある体つきなどから、平安時代後期の制作とみられます。腰に金鎖甲(きんさこう)と呼ばれる鎧の文様を彫刻であらわす表現は北部九州の神将形像に多くみられることから、本像も九州で制作されたと考えられます。
【福岡市指定文化財】