平成19年1月16日(火)~4月15日(日)
木造如来像残欠 |
7、木造如来像残欠(もくぞうにょらいぞうざんけつ)
1躯 像高51.5センチ 平安時代(12世紀) 永島武彌太氏 寄贈
寄木造(よせぎづくり)の技法で造られた如来像の前面部分が残ったもので、下部に像心束(ぞうしんつか)と呼ぶ出っ張りがあることから、もとは坐像であったことがわかります。丸く穏やかな顔立ちや、起伏の少ない体つきなど、平安時代後期に流行した仏像の特徴が顕著であることから、本像もその頃制作されたと考えられます。像内はノミで内刳(うちぐ)りが施されていて内部の構造がよくわかります。
【福岡県指定文化財】
木造獅子 |
8、木造獅子(もくぞうしし)
1躯 像高103.0センチ 南北朝時代(14世紀) 崇福寺 寄託
崇福寺(そうふくじ)には南北朝時代の正平(しょうへい)17年(1362)に仏師院什(いんじゅう)によって制作された釈迦三尊像が伝来しており、本像はその脇侍(きょうじ)である文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像の台座であったと考えられます。院什は京都の禅宗寺院などの造像で活躍した、院派(いんば)に属する仏師とみられます。
【福岡市指定文化財】
木造渡唐天神立像 |
9、木造渡唐天神立像(もくぞうととうてんじんりゅうぞう)
1躯 像高35.5センチ 江戸時代(享保14年・1729) 水鏡天満宮 寄託
渡唐天神像は、菅公(かんこう)(菅原道真(すがわらみちざね))が中国に渡り、宋時代の仏鑑禅師(ぶかんぜんじ)(無準師範(ぶしゅんしばん))と問答を交わしたという伝説にもとづく特殊な天神像です。身につけている中国風の服は、禅の悟りを得たことを示し、手には天神であることを示す梅の枝を持っています。台座の裏には京都仏師の正慶(せいけい)が大宰府の戒壇院(かいだんいん)で天満宮の飛梅(とびうめ)の木を用いて作ったことが記されています。
【福岡県指定文化財】
10、木造聖観音菩薩坐像(もくぞうしょうかんのんぼさつざぞう)
1躯 像高27.7センチ 明治44年(1911)ヵ 川上喜一郎氏 寄贈
観音菩薩は人々を救済するため、状況に応じてさまざまに姿を変える仏で、聖(正)観音はそのうち最も基本的な姿です。台座裏には明治期の福岡で活躍した仏師高田又四郎(たかだまたしろう)(1847~1915)の署名があります。
木造弘法大師坐像 |
11、木造弘法大師坐像(もくぞうこうぼうだいしざぞう)
1躯 像高83.2センチ 大正2(1913)年 瀧光徳寺 寄託
像内に大正2(1913)年に福岡仏師の高田又四郎(たかだまたしろう(1847~1916))が制作したことを示す墨書があります。高田は福岡・博多の禅宗寺院を中心に活躍しましたが、その作品には伝統的な木彫技法と近代的な写実表現が巧みに共存しており、近世から近代へと、彫刻表現の過渡期を生きた仏師のあり方が窺われます。
(末吉武史)