平成19年11月20日(火)~平成20年1月20日(日)
箱フグとオコゼのつくりもの |
「ほんものみたい!でもしょせんは『つくりもの』だね!」
よく聞く会話です。ここには、「にせ物・人造物・まがい物」といった意味が込められていますが、「つくりもの」は、ただそれだけのことなのでしょうか。
古くは、山車(だし)・山鉾(やまぼこ)などの上に飾られるつくり山、造花、種々の人形や物を趣向をこらして飾った洲浜(すはま)、茶道具の自在金具、置物、能の舞台装置の舟・山・宮・釣鐘などのなどが「つくりもの」と呼ばれました。私たちの身近に目を転じると、子供の成育を願う繭玉(まゆだま)や藁で造った節供の馬なども、この言葉に含まれることが見えてきます。どうも「本物か偽物か」だけでは割り切れないのがこの言葉のようです。
「つくりもの」とは本来、儀礼や祭礼の際に、飾りもの・見せものとする目的で造られる人工的な造形物を指していました。大事なことは、見せるために造るのですが、終わると潔く跡形もなく壊してしまう「造り棄てる」というのが本来の姿だったようです。何故にそうするのか、この問いのなかに「つくりもの」の意義があります。
飾りもの
「お飾り」という言葉があります。私たちの暮らしで馴染み深いのは、正月のお飾りです。三宝の上に乗せたひと重ねの餅に橙(だいだい)や譲り葉などを飾ったものが一般的です。正月に訪れる神様を床の間で歓待するための「つくりもの」です。お飾りは「神」を饗応(きょうおう)するものでしたが、これが「人」に変わることで、飾りものは、異なる発達をしていくことになりました。技巧や趣向(しゅこう)を凝らして、壊さなくなるのです。さらに、この神ごとから外れることで、江戸時代後期になると「ほんのお飾り」というように、具体的な用途がなく実用的でないものをこのように呼ぶようにもなるのです。近代以降は、同じ意味で「置物」という言葉も使われるようになります。
実用的でない装飾品「置物(おきもの)」の本来の意味は神仏や棚・床などに飾りとして置かれたもののことでした。正客が、神仏から人に変わることで、「座敷飾り」として発達してきたのです。見せるということが本義であった「つくりもの」が細工を凝(こ)らし、人を饗応する空間へ移動することで、観賞用の「飾りもの」となったのです。
供えもの
人々は幸(さち)を感謝して、収穫された作物や獲れた魚介類を神前に捧げてきました。そのときに、造られた「もりもん」は、「つくりもの」の原点にあるものです。柿や栗、ご飯などを山のように盛り上げて造りました。山盛りという豊かさの表現と同時に山を象(かたど)ることが、人々と神の世界を繋ぐ記号だったからです。
山の神には、オコゼと呼ばれる魚を捧げました。山の神は女神で、引っ込み思案であるとされていました。愛嬌のあるオコゼの顔を見ると、山の神は大笑いして、豊漁を約束するのだという伝承が博多湾の島々にはあります。生のオコゼを乾燥させ、形を整えて供えます。山形県小国町ではこれを「オコゼのつくりもの」と呼んでいます。
同じようなものに、玄界灘沿岸の箱フグがあります。訪来訪者に祝意を示す「見せ熨斗(のし)」です。フグは「福」に繋がる縁起の良い言葉として連想され、生魚の河豚(ふぐ)を乾燥させて「飾りもの」としたのです。人に見せるところに「供えもの」から「飾りもの」になった経緯が窺(うかが)えるように思えます。