平成20年10月28日(火)~12月21日(日)
縄文土器の底面(桑原遺跡群) |
ミンククジラの脊椎骨(南氷洋) |
2 縄文時代
日本人は、縄文時代からクジラと接していました。縄文時代の遺跡からは、イルカの骨はもちろん、大型クジラの骨やその加工品もしばしば出土しています。しかし、実際に海へ出てクジラ漁をおこなっていたかどうかは、定かではありません。
イルカについては、大型魚や海獣を捕ったと考えられる銛先などが出土していることや、黒曜石が刺さったイルカ骨が出土していること、解体をおこなったと考えられる遺構が発見されていることなどから漁が行われていた可能性が高いといえます。しかし、大型クジラの漁については、根拠が薄弱な状況であり、鯨骨やその加工品が遺構から出土するのは、寄鯨(死んだり、傷ついて漂着したもの)や流鯨(沖に漂流しているのを引き揚げたもの)を利用したものと考えるのが妥当かもしれません。
九州でも縄文時代から、クジラ類は食料であり、クジラ骨は道具の材料として利用されていました。九州の縄文時代の土器のなかに、「鯨底」と呼ばれるクジラの脊椎骨の圧痕がついた底面をもつものがあります。土器を製作する際、クジラの脊椎骨を製作台、あるいは回転台として使用したために残ったものです。
また、マッコウクジラやイルカの歯は、垂飾りの装身具として身に付けられています。
(上から) アワビおこし、刺突具、骨鏃、紡錘車、骨剣 (原の辻遺跡) |
3 弥生時代
壱岐の原の辻遺跡からは、弥生時代のクジラ骨を素材とした骨角器が出土しています。
アワビおこしは、クジラ類の肋骨を素材とし、全長36センチメートル、最大幅4センチメートルもあります。
ヤスのような刺突具は、イルカ類の下顎骨を素材とした20センチメートルを超える大型のものです。また、一般に石製もしくは土製である紡錘車が、同遺跡ではクジラ骨製品も出土しています。同様の製品が、福岡市の宮草遺跡(弥生後期、未製品)や吉武遺跡群(弥生後期~古墳時代)からも出土しています。
このように、弥生時代おいても、クジラは食料としてはもちろんですが、クジラ骨の利用が広まっていたことがわかります。
弥生時代以降も、出土資料はわずかですが、クジラの利用があったと考えられます。
奈良・平安時代、太宰府に食料貢納の義務を負った厨戸の集落であると推定されている海の中道遺跡からは、クジラ骨を利用した骨錘やクジラ骨角器未製品が出土しています。骨錘は、孔の一方に針をつけ、一方を紐に結び、疑似餌として
使用されたものといわれています。また、クジラの肩甲骨を利用した骨角器未製品は、長さ47センチメートル、幅15センチメートルの長方形の骨板様に整形してあり、骨角器製作のための原材料と考えられています。