平成20年12月23日(火)~平成21年2月22日(日)
18 福岡図巻(部分) |
五、名所としての境内
社寺の境内は本来神仏が鎮(しず)まるところです。しかし祭礼とこれに付属する様々な催しがいつしか大衆の娯楽となり、特に江戸時代以降、境内は多くの人々で賑(にぎ)わう名所となりました。
福岡では箱崎宮や櫛田神社、太宰府天満宮などが代表的な名所となり、これを描いた絵図が残されています。「福岡図巻(ふくおかずかん)」(No.18)は博多湾岸をぐるりと描いた江戸時代中頃の絵巻で、この中では筥崎宮が最も細かく描かれています。秋におこなわれる放生会(ほうじょうや)の状景と思われますが、
25 聖地史蹟名勝(筑紫太宰府天満宮) |
松原の中にはいくつも幔幕が張られ、境内には多くの人々が集う様子が窺えます。また、「筑前名所図会(ちくぜんめいしょずえ)」(No.19)は文政四年(1801)に奥村玉蘭(おくむらぎょくらん)が著した筑前の名所ガイドブックで、ここには社寺を含む多くの名所が挿絵入りで紹介されています。
境内のもつこうした性格は近代以降も受け継がれ、観光名所の案内として様々な境内図が作られています。明治時代には銅版画による精密な境内図が登場し、また写真の普及とともに社寺の参拝者向けに絵葉書のセットや観光パンフレットも販売されました。福岡では太宰府天満宮や筥崎宮が特に人気を集めたらしく、多くの絵葉書や案内図が残っています。
六、信仰とともに
社寺が名所としての性格を強めた近世以降も、境内は神仏と人が出会う場という本来の性質を失ったわけではありません。「四国八十八ヶ所」「西国三十三ヶ所」などを模したミニ霊場が江戸時代の終わり頃、全国各地につくられ、既存の寺院や仏堂は弘法大師や観音菩薩への信仰のもと、宗派を越えて結びつけられていきました。また信仰の力によって何もなかった場所に巡礼の札所が設けられ、新たな境内が出現することもありました。
26 筑前三十三所札所絵図(一番 大乗寺) |
明治時代に描かれた「筑前三十三所札所絵図(ちくぜんさんじゅうさんしょふだしょえず)」(No.26)は筑前三十三観音霊場の札所を描いた作品で、福岡とその周辺の寺院が俯瞰(ふかん)的な構図であらわされています。この中には博多冷泉(れいせん)町の大乗寺(だいじょうじ)のように現在では廃寺となった寺院も含まれています。
「篠栗四国名所案内(ささぐりしこくめいしょあんない)」(No.28)は、福岡県篠栗町にある篠栗八十八ヶ所の巡拝案内図です。篠栗霊場は幕末に開創された新しい札所ですが、福岡市からも近く、交通の利便がよいことから、今でも多くの参拝者で賑わっています。案内図には篠栗の代表的な景勝地が盛り込まれ、観光名所のガイドブックを兼ねていることがわかります。
境内は単に社寺の領域を意味するだけでなく、時代や人との関係とともに姿を変え、生き続ける存在なのかもしれません。
28 篠栗四国名所案内 |
(末吉武史)