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No.333

黒田記念室

大野忠右衛門展

平成21年1月14日(水)~平成21年3月15日(日)

二、大野忠右衛門貞勝
 ここでは、本展覧会の中心となる大野忠右衛門貞勝を紹介します。貞勝(さだかつ)は、吉勝の長男として寛永(かんえい)19(1642)年に生まれました。初めは源太夫(げんだゆう)と名乗り、後に忠右衛門を称しました。
 寛文(かんぶん)3(1663)年、22歳の時に部屋住(へやずみ)のまま藩主黒田光之(みつゆき)に召し出されました。その後、小姓(こしょう:藩主の側近くに仕え雑務を勤める)や納戸(なんど:調度や衣服の出納等を行う)なども勤め、光之の領内巡見や長崎警備の巡見などに従いました。また、上座郡鼓村(じょうざぐんつづみむら:現朝倉郡東峰村)における高取焼の製陶活動を統括する上座焼物奉行(じょうざやきものぶぎょう)を勤め、現地へ八度程赴いています。
 同12年7月、光之の5男平八(へいはち)(後の直方藩主黒田長清(ながきよ))付きとなり、3年間の在府を経験した後、延宝(えんぽう)8(1679)年閏8月、浦奉行(うらぶぎょう)を勤めていた父吉勝の家督を継ぎ(知行高300石)、同じ浦奉行となりました。浦奉行は浦方(海を生活の基盤とする人々の住む集落や島など)を統括する奉行で、天和(てんな)2(1682)年の朝鮮通信使来朝の際は、饗応を行う相島(あいのしま:現糟屋郡新宮町)へ赴き、船や水夫(かこ)の差配や島々の烽火支配など饗応に伴う実務を勤めました。
 元禄(げんろく)3(1690)年5月、貞勝は浦奉行での勤めが認められ御用人(ごようにん:家老のもとで財務等の実務を担う)となります。この時期の福岡藩政は、同元年に隠居した前藩主黒田光之のもと、4代藩主黒田綱政(つなまさ)によって家臣団に対する上米(あげまい)や倹約令など、藩財政窮乏に対応するため様々な政策が実施されていました。この様な状況下、貞勝はたびたび上方(かみがた)に派遣され、京・大坂の銀主たちとの借銀交渉にあたりました。同16年8月に財用不足を補うため、藩が幕府の許可を得て初めて藩札を発行した際も、諸事指図役に任じられており、藩財政運営の実務を行う財務官僚として藩政を支えました。
 また、貞勝は、同13年7月に、藩が収入拡大策の一環として開始した「御国中塩御徳用仕組(おくにじゅうしおおとくようしくみ)」という塩専売制の支配を命じられ、仕組に深く関与しました。同16年には裏糟屋郡奈多浜(うらかすやぐんなたはま:現福岡市東区)に塩田を開くよう藩主綱政に進言し、30町歩余(約30ヘクタール)の塩田を開きました。開作から経営まで藩の公費で困窮する民を雇って行ったため、藩だけでなく領民の利益にもなったと貝原益軒(かいばらえきけん)は「筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)」に記しています。

木造大野忠右衛門像
木造大野忠右衛門像

 その後、貞勝は、宝永(ほうえい)2(1705)年閏4月に高齢や病気を理由に隠居し、嫡男源太夫へ家督を譲ります。財政窮乏などの課題を抱える藩政運営の中で重用され、役務を全うした結果、この時、父吉勝から継いだ知行高は、5度の加増を経て1000石となっていました。
 また、隠居直前の同年4月に貞勝は、菩提寺の金龍寺(きんりゅうじ:福岡市中央区)の観音堂に自らの寿像を奉納しています。観音堂は、元禄16年4月に亡くなった娘を弔うために建て、観音像を安置したものです。正徳(しょうとく)3年4月には、詠歌で知られる公家の外山光顕(とやまみつあき)筆の法華経嘱累品(ほけきょうぞくるいぼん)や、南方流(なんぼうりゅう)で知られる立花実山(たちばなじつざん)自筆の和歌などを奉納しています。貞勝が借銀交渉のため赴いた上方で公家との交流を持ち、詠歌を嗜む文化的素養を持っていたことがうかがえます。

三、江戸後期の忠右衛門

大野家の当主が記した勤務日記
大野家の当主が記した勤務日記

 では、最後に江戸時代後期に大野忠右衛門家の当主であった貞正(さだまさ)について紹介しましょう。
 貞正は、大目付(藩士を監視する監察官)や納戸頭(なんどがしら:黒田家や奥向を統括)などの重職を勤め、隠居後も再出仕を命じられるなど、江戸時代後期の福岡藩政の中枢を担った人物です。とくに天保(てんぽう)5(1834)年4月、10代藩主黒田斉清(なりきよ)が自らの隠居を前にして、「御家中并郡町浦御救仕組(ごかちゅうならびにこおりまちうらおすくいしくみ)」などの諸政策を実施した天保改革期には、藩財政を掌る裏判役に任じられ、上方へ赴き借銀整理など銀主たちとの交渉にあたりました。この時、11代藩主黒田斉溥(なりひろ)(長溥(ながひろ))が直接貞正に指示を与えた書状も残されています。また貞正は、大目付や納戸頭を勤めた際に多くの日記を残しており、この日記から各役職の勤向について知ることが出来ます。
 この様に、大野忠右衛門家は、元禄期に活躍した貞勝の代で大幅な加増を受け大身家臣となり、彼以降の当主は、貞勝同様に藩政の中核を担う役職に就いて、福岡藩・黒田家を支えました。

山英朗)

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