平成21年4月14日(火)~平成21年7月20日(日・祝)
浦江1号墳 彩色壁画 実測図 |
福岡市内に古墳は数あれど、金武(かなたけ)・吉武(よしたけ)地区の古墳からしか見つかっていないものがあります。それは石室に壁画を描いた彩色壁画です。浦江(うらえ)1号墳と吉武(よしたけ)K7号墳という2つの古墳から赤色顔料で描いた渦巻(うずま)き文様が発見されました。
墓室に壁画を描いて装飾するという文化は普遍的なものではありません。世界的に見ても特定の時代・場所に限定されるもので、ヨーロッパでは紀元前7世紀のエトルリア、紀元前4~3世紀のマケドニアとトラキア、東アジアでは前漢から唐までの中国、4~6世紀の高句麗(こうくり)などに例があります。日本の古墳時代においても6~7世紀に九州と東日本の一部で古墳の石室内に彩色壁画が描かれましたが、古墳時代全体からみると、局所的な文化現象といえます。
しかも彩色壁画古墳は九州でも福岡県南部から熊本地方が分布の中心で、金武地区の彩色壁画古墳は分布の北西の最果てに位置しているのです。
室見(むろみ)が丘の古墳の彩色壁画はいったいなにを示しているのでしょうか。
浦江1号墳と吉武K7号墳
~福岡市内唯二の装飾古墳~
1978年12月、早良(さわら)平野の遺跡分布調査中に、吉武K7号墳の彩色壁画が発見されました。79・80年に調査された後、現在は保存のため入り口を塞(ふさ)いでいます。
浦江1号墳はその存在は知られていましたが、2002年の金武地区の圃場(ほじょう)整備にともなう発掘調査で彩色壁画が確認されました。翌年埋め戻され、現在は地下で石室を保存しています。浦江1号墳は2009年3月2日に福岡市指定文化財として登録されました。
出土遺物から推定される古墳の年代は浦江1号墳の方が古く、6世紀の前半~中頃であり、吉武K7号墳は6世紀の後半とみられます。
どちらの壁画も赤い顔料一色で描かれている点と、渦巻き文様が描かれている点が共通しています。渦巻き以外の文様については、浦江1号墳は顔料の残りが悪く判別できませんでした。吉武K7号墳は円文のほか、人物かと思われる文様がありますが、何を描いたか分かっていません。
一見して何が描かれているか分からない、現代の私たちから見ると抽象的ともいえる文様を描く例が多いのも、古墳時代の彩色壁画の特徴の一つです。高松塚(たかまつづか)古墳やキトラ古墳、あるいは海外の墓室装飾の壁画が人物や神などの具体的・現実的なモチーフを描いているのとは対照的です。