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No.342

考古・民俗展示室

古代の剣と刀

平成21年6月30日(火)~10月4日(日)

はじめに
剣や刀は、古代から多くの人々を魅了し、武力や権力の象徴となり、近世以降は武士や軍人の魂として実用以上に珍重されてきました。確かに、鍛え抜かれた日本刀は非常に美しく、そのため現代でも刀剣の愛好家は少なくありません。
この剣や刀ですが、日本では最も早い例として弥生時代前期の石剣がみられますが、縄文時代や旧石器時代には武器としての剣・刀は存在しません。剣や刀は人間が社会的に発展していく歴史の流れの中で、戦争や争いにおいて自らの身を守るための武器として創出されました。そのため人々の生活を豊かにするための狩猟採集用具として登場した槍や弓矢とは決定的に異なります。
しかし、時に人々の命を奪う剣や刀は、その一方で辟邪(へきじゃ)の守りとして死者の墓に副葬品として供えられたり、あるいは権威の象徴として政治体制の維持に大きく貢献したりしていました。
今回の展示では銅剣の起源をはじめ、日本に銅剣が流入した当時の状況、銅剣から鉄刀に変化していく時期の剣・刀の役割、古墳時代の剣・刀の位置づけを示しながら、当時の剣・刀に込められた政治・軍事・思想的な背景を示していきます。


剣の出現

(上)中国式銅剣(伝中国)(下)弥生時代の細形銅剣(吉武高木115号甕棺出土)
(上)中国式銅剣(伝中国) 
(下)弥生時代の細形銅剣(吉武高木115号甕棺出土)

 中国の初期青銅器文化では青銅器の種類は祭器・酒器や工具が中心で、青銅武器には鏃(やじり)・戈(か)・矛(ほこ)などはありましたが、剣は確認できません。その後紀元前十一世紀末に周王朝が成立し、西周時代の墓から銅剣が副葬品として出土することから、この時期に剣が出現したと考えられます。その後、春秋・戦国時代には銅剣を初めとする青銅武器は大きく発展しました。特に、戦国時代から秦の時代にかけて製作された青銅武器のなかには表面が酸化クロムで覆われたものがあり、それらは現代でもさびることなく、当時の輝きを残しています。
またこの中国・中原地域で発生した銅剣とは別に、中国北方地域では遼寧(りょうねい)式銅剣が紀元前九世紀頃に出現していたと考えられています。この遼寧式銅剣は刃が湾曲して薄く、中央に丸い心棒が通り、同じ時代に黄河流域で作られた中国式銅剣とよばれる直線的な剣とは形が異なります。遼寧式銅剣の系統はその後朝鮮半島を経て日本に伝わります。弥生時代の銅剣の形はこの遼寧式銅剣の系統を引きます。吉武高木遺跡の木棺墓や甕棺墓に副葬された銅剣は日本に伝わった最初期のものです。
吉武高木遺跡の3号木棺墓から出土した二本の銅剣は、細形銅剣と呼ばれる型式のもので、細身でしっかりしたつくりになっているのが特徴です。この形は朝鮮半島で使われていた、実際に戦闘で使いやすい銅剣の形にならったものです。


弥生の剣の姿

上月隈遺跡第3次調査・中細形銅剣の出土状況(ST007)
上月隈遺跡第3次調査・中細形銅剣の出土状況(ST007)

 弥生時代の銅剣は、剣身と柄を組み合わせたものと、剣全体を一体として鋳造したものの二種類があります。組み合わせ式の銅剣は柄が木製であることが多く、めったに出土しません。

銅剣には鞘(さや)や鞘飾りが付いていたと考えられます。これらもまた木や革で作られたとみられ、残っているものはほとんどありません。佐賀県柚比本村遺跡の甕棺に副葬されていた鞘は漆を塗って玉で飾られていましたが、このように豪華に飾られた剣も少なくなかったと考えられます。
また、剣のなかで把頭飾をもつものは細形・中細形といった初期の銅剣に多く、この時期の銅剣は柄をつけて、実際に振り回す目的で作られました。その後、時代が下って作られた中広形・平形銅剣は柄をつけられない形になり、それまでの銅剣とは使い方も異なると考えられます。

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