平成21年9月29日(火)~11月15日(日)
図1 黒田忠之の花押型(史料14) |
わたしたちは、日常、契約や申し込み等、意思表示の際、印鑑を押しますが、江戸時代までは、手書きの花押(かおう)と呼ばれるサインが盛んに用いられました。花押は署名捺印の代わりに使用される符号です。他人と自己を区別するために、その形は個性的で独自性があり、一人一人形が異なっています。
花押は、主に東アジアの漢字文化圏で使用され、日本では平安時代中頃から自己の名前を草名体(そうみょうたい)で自署することに始まりました。現在では印鑑にその地位を取って代わられていますが、政府閣議における閣僚署名は、いまだに花押で行うことが明治以来の慣習として続いています。
本展では、さまざまな花押や印章を紹介し、サインの歴史をたどります。
◆二合体(にごうたい)の花押
図2 一条能保(史料1) |
名前二字の各部分を組み合わせて作った花押です。一条能保(いちじょうよしやす)の花押(図2)は、「能」の草体の右半分と、「保」の草体を直線化・鋭角化した形とを合成したものです。
◆一字体の花押
羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉(ひでよし)の花押(図3)は、「悉」を元にした一字体の花押です。一字体は、名前の一字や、あるいは理想・願望を示す一文字を採用して作ります。「悉」は「秀吉」の文字を反切(はんせつ)したものです。反切とは、ある漢字の字音を示すのに、別の漢字二字の音をもってする方法で、「悉」の音sh-itsuは、秀吉の「秀」sh-uの声母(せいぼ)と、下字の「吉」k-itsuの韻母(いんぼ)を合成したものです。
◆苗字の文字の使用
花押は、名前を草書体で書く草名に始まったように、原則として名前に基づいて作成しました。この基本原則は戦国時代まで続きますが、石田三成(いしだみつなり)の花押(図4)は、苗字の「石」と名前の「三」の混合体で、花押史上、画期的な現象といえます。
図3 羽柴(豊臣)秀吉(史料2) | 図4 石田三成(史料3) | 図5 伊達政宗(史料5) |
図6 千利休 (史料7) |
◆ユニークな形の花押~別用体(べつようたい)
戦国時代は、多彩な戦国武将や豪商(ごうしょう)を輩出しましたが、それぞれの個性を反映して、ユニークな形、文字を離れて動物・昆虫・器物等を図案化した花押(別用体)が登場します。伊達政宗(だてまさむね)の鶺鴒(せきれい)の花押(図5)や千利休(せんのりきゅう)のケラ判(ばん)(図6)が有名です。
◆親の花押を継承する
大友宗麟(おおどもそうりん)は家督(かとく)を息子の義統(よしむね)に譲る際、それまで使用してきた花押も譲り渡し、自身は「非」の朱印を用いるようになりました。この花押は、宗麟がもっとも長期にわたり用いた花押です。すなわち、これは大友家の家督の地位を示すシンボルであり、家督譲渡の象徴的行為として、後継者に踏襲させたのです。