平成21年9月29日(火)~11月15日(日)
◆明朝体(みんちょうたい)の花押
徳川家康(とくがわいえやす)の花押(図7)は、上下に二本の水平線を引き、その間に縦線・曲線・点を配置しています。これを明朝体の花押といいます。家康がこの型を使用して以降、急速に広まり、江戸時代前期の武家花押のスタンダードになったので、徳川判ともいわれます。
◆花押の形をした印~花押型(かおうがた)
入田親廉(にゅうたちかかど)の花押は、手書きの花押ではなく、花押と同じ形を刻んだ印(花押型)に、墨を塗って押したものです(図8)。墨の乗り方が手書きと異なります。これは手書きの花押の代用として使用されました。江戸時代になると花押に代わって個人印が文書に使用されるようになりますが、花押型はその過渡的形態を示すものです。黒田家には二代藩主忠之(ただゆき)の花押型(図1)が伝えられています。
◆輪郭線のみの花押型~双鉤填墨(そうこうてんぼく)の花押
花押の輪郭線のみを刻んだ印を作り、その印を押した後に枠内を墨で塗りつぶしたものです。文字の輪郭を記し(籠字(かごじ))、その中を墨で埋めることを双鉤填墨といいます。輪郭線のみの花押型は江戸時代の大名が盛んに用いました。
◆印章
印章には大まかに二つのタイプがあります。一つは、信仰・理想・願望・吉祥文言(もんごん)(おめでたい語句)等を印に刻んだもの、もう一つのタイプは、名前を彫り込んだものです。織田信長(おだのぶなが)の政治思想を示す「天下布武(てんかふぶ)」印(図9)、大友宗麟や黒田如水(くろだじょすい)のキリスト教信仰を示す印等があります。
図7 徳川家康 (史料9) |
図8 花押型の押印 (史料12) |
図9 織田信長の印判 (史料16) |
(堀本一繁)