平成22年2月23日(火)~4月18日(日)
福博電気軌道開業ポスター |
三四郎が東京で驚いたもの
日本で初めて電車が走ったのは、明治23(1890)年に東京・上野で開催された第3回内国勧業博覧会でのことです。しかし、これは博覧会の催しの一つで、走行距離もわずか400メートルでした。本格的な営業運転は、明治28年のこと。京都駅と伏見とを結ぶ路線が最初でした。
……中略……
三四郎は全く驚いた。要するに普通の田舎者が始めて都の真中に立って驚くと同じ程度に、又同じ性質に於て大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防する上に於(おい)て、売薬程の効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きと共に四割方滅却した。不愉快でたまらない。
これは、夏目漱石の『三四郎』の中の一節です。『三四郎』は、明治41年9月から12月まで朝日新聞に連載されました。主人公の小川三四郎は、福岡県京都(みやこ)郡真崎(まさき)村(真崎村は架空の地名)の出身で、熊本の旧制高等学校を卒業し、大学進学のために上京した青年です。「九州初(はじ)めての市街電車(まちのでんしゃ)」である福博電気軌道が開業するのは、明治43年のことなので、三四郎青年は、おそらく上京して初めて路面電車に遭遇したという設定なのでしょう。初めての大都会で驚き、圧倒される青年の心理が描かれていますが、驚きの「第一」がチンチンと鐘を鳴らしながら走る路面電車(通称:チンチン電車)だったのです。
「九州初(はじ)めての市街電車(まちのでんしゃ)」
福岡では、明治43年3月9日に、福博電気軌道が開業しました。これは、3月11日に開幕する第13回九州沖縄八県連合共進会の開催に合わせてのものでした。開業当時の路線は、大学前─黒門橋、呉服町─博多停車場前でした。のちに「貫通線(通称: 貫線)」「呉服町線」と呼ばれた路線の一部です。共進会が閉幕すると、博多電気軌道の「循環線」の工事が始まり、明治44年10月2日に、博多駅前─住吉神社前─天神町─須崎土手─取引所前がまず開業しました。九州では、明治33年に大分と別府を結ぶ通称「別大電車」がすでに開業していましたが、市街地を走る電車は初めてということで、明治43年3月8日の福岡日日新聞には「九州初(はじ)めての市街電車(まちのでんしゃ)」といううたい文句の、福博電気軌道の開業広告が掲載されました。
福博電気軌道の開業広告(明治43年3月8日) |
この福博電気軌道の開業の際の電車賃は、1区間が1銭で、一回の乗車ごとに通行税が1銭かかりました。前述の開業広告の路線図でいうと、博多停車場前から呉服町を通って共進会前(のちの県庁前)までは5区間なので、博多停車場から県庁前まで6銭だったことになります。当時の物価は、あんパンが1銭、映画館入場料が15銭、かけそばが3銭、郵便ハガキが1銭5厘・・・という程度です。現在は市営地下鉄で博多─天神が200円ですから、今と比べると少し割高な感じがします。しかし、同じ頃の人力車賃は、この区間が10銭くらいだったようなので、路面電車は人力車よりはだいぶ安かったことになります。
明治末~大正頃の博多停車場前 |