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No.361

美術・工芸展示室

縄文土器の時代

平成22年4月20日(火)~6月27日(日)

縄文土器の特徴
 縄文の文様は、縄(撚り紐(よりひも))を土器の表面で回転させながら押しつけることでつけられています。今では簡単に思えるこの施文(せもん)方法・原体(工具)も、明治、大正期には正体がつかめず、縄、蓆(むしろ)、織物、編み物などの圧痕と考えられていました。モース以来、昭和6(1931)年に山内清男(やまのうちすがお)によって回転施文であることが明らかにされるまで約半世紀のあいだ考古学者を悩ませたのでした。ただしこの縄文土器の特徴である縄文は、福岡では中期前半、後期中頃など限られた時期にしかありません。また、早期に比較的多くの遺跡で出土している押型文(おしがたもん)土器は、細い円棒に彫刻した工具をやはり回転することで施文されています。
 縄文土器を特徴づけるものとして、世界的にも少ない波状口縁(はじょうこうえん)や口縁部突起(こうえんぶとっき)をあげることができます。波状口縁・突起は草創期には現れ、福岡でも早期以降の各時代に見ることができます。後期の太郎迫(たろうさこ)式土器は丁寧な成形を行って端正なシルエットを作り出しています。
 また、前・中・後期には沈線や凹線で描かれた文様が多く見られます。幾何学的、抽象的に見えますが、各時代の人々が込めた意味や思いを表しているのかも知れません。
 縄文土器は波状口縁や文様を持つものばかりではありません。展示や図録では比較的きれいに飾られた土器を並べています。しかし、出土する土器の大半は、貝殻や、板などで表面を削った粗製土器です。特に後期からは精製土器と粗製土器の差が顕著になってきます。展示品の背景には、飾りのない土器が数多くあるのです。

太郎迫式土器(後期:早良区四箇遺跡) 鐘崎式土器(後期:早良区東入部遺跡)

縄文土器から弥生土器へ
 縄文時代終わりの約2千7百年前の晩期後半は、板付遺跡などで水田跡が見つかり、水稲(すいとう)農耕が伝わった時代であることがわかってきました。水稲農耕が行われた事が明らかになると、その時期を弥生時代と考え、弥生時代早期という時代が設定されました。
 縄文時代と弥生時代は土器の分類で分けられていましたが、その移り変わりが明らかになるにつれて再考が迫られてきました。近年では土器が出現してから後を縄文時代、そして水稲耕作が始まってから後を弥生時代と、文化要素で分ける考え方が多くなっています。そして、縄文時代の土器を縄文土器、弥生時代の土器を弥生土器と呼ぶようになりました。時代区分は現在の私たちが歴史をとらえる時の考え方の問題なのです。
 縄文土器と弥生土器は連続してつくられた素焼きの土器です。それぞれの時代を通した定義はできませんが、縄文時代晩期に、朝鮮半島から稲作文化と一緒に伝わった半島の土器情報の影響を受けて成立したものが弥生土器ということができます。それを象徴するものが壺形土器です。
 最後に、今回の展示では暦年較正年代という近年の研究を使用しましたが、現在その扱いに慎重な意見があることを付け加えます。
(池田祐司)

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