平成22年6月8日(火)~8月8日(日)
16 母里太兵衛 |
3、昭和3・40年代
戦後の混乱も収まりつつあった昭和27年(1952)、ようやく大乗寺前町の旧地に戻った原田は再び活発な創作活動を始め、晩年まで様々なテーマに取り組んでいます。
昭和30年代には現代的な題材にもとづく「攀(のぼ)る」(No.7)や海辺でカニと戯(たわむ)れる孫娘をモデルにした「子供とカニ」(No.8)など、身近で親しみやすい作品群があり、また伝統的なテーマでは、立ち姿と表情にユーモアが漂う「達磨(だるま)」(No.10)や中国の伝説的な奇僧を荒々しい仕上げで表現した「寒山(かんざん)」(No.12)など、独自の表現を追求した作品を残しています。
いっぽう、昭和40年代になると歴史ものを多数制作しています。「坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)」(No.14)は甲冑(かっちゅう)を身につけた征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)と、これを慕う子供をあらわした作品で、原田の幼い者に対する愛情や平和に対する思いが伝わってくるようです。「母里太兵衛(も(ぼ)りたへえ)」(No.16)は民謡「黒田節(くろだぶし)」で有名な母里太兵衛が馬上で名槍「日本号(にほんごう)」を構える姿をあらわした大作で、ほかにも「神功皇后(じんぐうこうごう)」や「貝原益軒(かいばらえきけん)」(No.15)、「野村望東尼(のむらもとに)」といった郷土の歴史にまつわる作品に挑戦しています。
4、晩年の活動
昭和41年(1966)、原田は福岡市をご訪問中の皇太子妃殿下(現皇后陛下)の御前で人形制作をおこない、「浩宮殿下(ひろのみやでんか)ダルマ運(はこ)び」(No.17)を制作しています。また、同年暮れには小島与一や中ノ子タミらとともに博多人形師としてはじめて福岡県の無形文化財保持者に認定されました。
晩年も創作意欲は衰えず、「熊坂(くまさか)」(No.18)などの能ものや、内に秘めた女性の感情を表現した「豊神酒(とよみき)」(No.21)、徹底した洗練味をみせる「月琴(げっきん)」(No.22)といった美人ものなど、集大成ともいえる作品を残しています。平安時代の説話にもとづく「白箸売(しらはしうり)の翁(おきな)」(No.23)は、かつて師匠の白水六三郎も制作した作品で、原田は「自分も漸(ようや)く先生の心境が判る年齢になって、この作品を作ることができた」と述懐しています。
(末吉武史)
23 白箸売の翁 | 22 月琴 | 17 浩宮殿下ダルマ運び | 8 子供とカニ |