平成22年6月29日(火)~8月22日(日)
1 振袖美人図 祇園井特筆(部分) |
2 観桜美人図(部分) 祇園井特筆 |
右に見える女性の絵は、祇園井特(ぎおんせいとく)(1755or6~1815)によって描かれたものです。井特は、京都で活躍していた絵師で、女性の姿を描いた絵をたくさん残しています。それがみな「実際に、こんな顔の人がいたんだろうなぁ」と思わせる個性的な顔立ちをしているので、彼は、リアリティにこだわる絵描きだったと言うことができます。
図① |
さて、女性が着ているキモノに眼をむけてみましょう。振袖(ふりそで)です。地色は茶色、文様はすべて白抜きというツートンカラーで、襟(えり)、褄(つま)、裾(すそ)と袖(そで)の袂(たもと)の部分には柳の木、それ以外の部分に小さな燕があらわされています。この絵に見られるキモノを広げてみると、図①のようになるでしょう。このように、身頃(みごろ)に大きく無地の部分をもうけ、襟、褄、裾の部分に、モチーフを集中的に配する意匠を「褄模様(つまもよう)」と呼びます。
右下の女性の絵も、祇園井特の手によるものです。中央の女性の振袖は、ブルーグレーの地に、白抜きの褄模様で、波と千鳥(ちどり)があらわされています。
暗めの地色に白抜きモチーフのみの振袖は、若い女性のファッションとしては、ずいぶん地味に感じられるかもしれません。しかし、このような地味なキモノは、おしゃれな町方の女性たちの間で、18世紀後半以降、たいへん好まれたのです。
江戸時代を通じて、流行に敏感な女性たちの装いの好みは、「はなやかでキレイ」なものから「シンプルでかっこいい=クール」なものへと、移り変わっていきます。そのモードの変わり目は、18世紀の半ばに置くことができます。
江戸時代の前半、一世を風靡した「はなやか・キレイ」モードのキモノは、ちょうど現代の成人式の振袖のように、地色も色とりどりで、刺繍や鹿子絞(かのこしぼり)や友禅染(ゆうぜんぞめ)による大振りな文様を、適度な余白を設けつつ、肩から裾に至るまで一連なりに配していました。キモノ自体がまるで1枚のカラフルな絵のようだったのです。これは、キモノをガウンのような「はおりもの」に近い衣料としてとらえていたことに由来します。実際、江戸時代の早い頃の絵画などに見られる女性の姿は、うちかけキモノを打掛のようにはおるだけだったり、ゆったり着つけて細い帯を結ぶだけだったりします。