平成22年6月29日(火)~8月22日(日)
しかし、時代が下ると、女性たちの間で、すっきりとした細身の着姿のほうが美しいという意識が生じてきました。タイトなシルエットを実現するため、元禄時代(1688~1704)と前後して、キモノの上に締める帯の幅が広くなりはじめます。すると、帯で隠れる部分が意識されるようになり、キモノの意匠に、帯の上下で異なる文様をあしらったり、上半身の文様を省略してしまったり(図4)、あるいは、小さなモチーフのまとまりを全体に散らしたり(図5)、といった変化が生じました。そうして、宝暦頃(1751~64)には、「はなやか・キレイ」モードは、流行の表舞台からしりぞくことになり、キモノは「シンプル・かっこいい」時代に突入します。
4 菊障子文様小袖 | 5 草花流水文様小袖 | 6 枝垂桜文様小袖 |
9 楼閣山水文様小袖 |
「シンプル・かっこいい」モードのキモノにおいては、現在の約束ごとでは考えられないほど、地味な色目が好まれました。若い娘さんの晴れ着であっても、グレーや茶色や暗めのブルーなどの地色を選んで仕立てられたのです。文様をあらわす技法も、「白上(しろあ)げ」と言って、友禅染の1工程にすぎなかった糊置(のりお)き防染加工をメインに置き、モチーフを白抜きのみであらわしたもの(図6)が大いにもてはやされました。キモノ全体では、無地の部分がどんどん大きくなり、文様のモチーフは、すみへすみへと寄せられ(図9)、「裾模様(すそもよう)」「褄模様」と呼ばれる意匠が完成しました。冒頭でふれた祇園井特の絵は、彼が生きた時代に流行していた女性のファッションを、実にリアルに再現していたわけです。
こうした地味な色目と、抑制のきいた意匠を好むクールなモードの誕生には、幕府が度々、ぜいたく品を禁止する倹約令を出していたことが社会的な背景としてあげられています。たしかに、「はなやか・キレイ」のキモノには、工賃のかさむ鹿子絞や刺繍や友禅染をふんだんに用いることが不可欠でした。しかし、人々の「シンプル・かっこいい」モードへの切り替えは、やはり、お上の圧力によるのみではなく、行き着くところまで行った「はなやか・キレイ」モードに女性たちが飽き足らないものを感じていたからこそでしょう。「シンプル・かっこいい」モードのキモノは、一見、お上の意向に沿う「簡素」な装いに見えつつ、実際のところ、凝った意匠をあからさまでなくこっそりあしらうという、ひねりの効いたスタイルで、自らのお洒落心を満たすものだったのです。
(杉山未菜子)