平成22年7月13日(火)~9月20日(月・祝)
2、博多の寄合
町場の博多でも、多彩な寄合があります。博多最大の祭礼博多祇園山笠は数多くの寄合があることで知られています。朔日寄、総代寄・取締寄、祇園寄など、山笠が動き出すとますます、その数は増してきます。実は、山笠の季節が来る前から、寄合は始まっているのです。各流(ながれ)によって名称は違いますが、「甲子(きのえね)講」・「弁天(べんてん)講」・「恵比須(えびす)講」などと呼ばれ、大黒天・弁財天・恵比須などの神様の掛軸を飾って寄り集まる講が最初に行われる仕来りになっています。今はなくなりましたが、博多の中にあっても山笠を出さない町内では、その頃に「祇園講(ぎおんこう)」という寄合に、集まって夏の健康を祈り、会話を楽しむ習慣がありました。そこでは世相が話題になっていたことが、残された「集会帳」から分かります。現在では、櫛田神社の祇園講社祭に祇園講の名残を見ることができます。
また町場では、大工職、酒造業など職種に応じての同業の寄合も行われていたようです。もちろん農村同様に各町では当番の家を設けて、神仏を信仰する講も盛んだったのは言うまでもありません。
謎秀逸之巻 |
3、言葉遊びを楽しむ
博多では、相手に緊張を与えない会話を、子供のころから生活のなかで訓練していきます。ちょっとした洒落(しゃれ)を含みながら、はっきり言うと「おおごと」になるようなことでも、笑いにつつんで相手に伝えていく技です。これで言いにくいこともさらりと話せて、相手も素直に受け入れることができる訳です。「博多の者」は、口は悪いが、義理堅く、開けっぴろげで情にもろいと言われますが、こんな会話の技術も博多の気性に寄与しているのかもしれません。博多の寄合の後の直会では、機智に富んだ会話が、普通に飛び交うことになります。それは現在でも変わりません。直会で交わされる会話は、さらに深化していくと、言語芸術としての「博多にわか」となっていきます。
また、言葉遊びとして「博多謎々」などにもその命脈が伝えられています。「謎」とも言われるものですが、大人数で寄り合い、1つの謎掛けに対して、その場で謎解きをして口上する「謎掛け遊び」です。全国的にあるものですが、博多の場合は、博多言葉を使い、掛ける言葉は2つ以上で、それは同音で違う言葉を使うというのが決まり事になったものでした。
正月の初寄(はつより)などで行われていたようです。会話の遊びですが、優秀なものは文字化され、巻物として残されることもあったようです。「博多にわか」は現在でも盛んですが、「謎」は、大正時代に最盛期を迎えたものの、戦後になって衰退していきました。
同じ町場である西区今宿では、川柳のような俳句を皆で競う遊びが行われていました。町場には、言葉の遊びが発展する要素があったのでしょう。しかし、農村や漁村では、このような言葉の遊びは、あまり発展しませんでした。集う楽しみは、農漁村では、あくまでも共に飲食し楽しく語らうことでした。
かつてあった私たちの集いと楽しみのありかたを、今一度思い出すことは「人の和」を考えるうえで大切なことを教えてくれると思います。
(福間裕爾)