平成23年1月5日(水)~平成23年2月20日(日)
博多区上月隈遺跡 出土中細銅剣 |
西区石ヶ元古墳出土 金銅装単凰大刀(部分) |
博多区比恵遺跡群出土 赤彩線刻紋木製品 |
文様と装飾
資料に残された幾何学的な文様は、自然の中にある様々なカタチをモチーフとして取り入れ発展したもので、呪術(じゅじゅつ)的な意味合いを持つものが多く、単なる装飾ではありませんでした。
雀居遺跡から出土した木製の短甲(たんこう)(よろい)は背面部だけが出土したものですが、この狭い範囲に鋸歯文(きょしもん)・直弧文(ちょっこもん)・弧帯文(こたいもん)が配置されていました。これは弥生時代の人々が体に施していた入れ墨を模したモノだという説もあります。弧帯文・直弧文は縄目や帯を編んだ状態をモチーフとした文様で、結び留めるという意味が込められ、文様の持つ呪力が信じられていたと考えられます。
比恵遺跡から出土した赤彩線刻紋(せきさいせんこくもん)をもつ木製の円板には赤色顔料が塗られ、鋸歯文をアレンジした幾何学模様が線刻されていました。これは儀器の一種と考えられています。集落の入り口に立てられ、内部へ邪悪なものが侵入するのを阻(はば)む結界(けっかい)装置という説もあり、文様の持つ呪力が実用的に用いられていた可能性があります。
先の拾六町ツイジ遺跡の木製腕輪には、朱漆でシダの葉の文様が力強く描かれています。植物のもつ生命力を表現することでこれを身に纏い、災厄から身を守るめの文様であったと考えられています。
上月隈遺跡から出土した中細(なかぼそ)銅剣は刀身が綾杉(あやすぎ)状に研ぎ分けられていました。出土した時には全体が薄く錆(さび)に覆われていましたが、使用されていた当時は黄銅色の刀身に鮮やかな綾杉状の研ぎ分けが見えていました。シャーマンが祭りの時に人々の前で高く掲げると光りを反射して輝き、その輝きに畏(おそ)れを抱いたと考えられます。文様の持つ力は「大いに人を惑わす」ものだったのです。この銅剣が作られた弥生時代中期後半の時期に銅剣が実用的な武器から祭りのための儀器に変化していったことが分かります。
時の移り変わりとともに文様の意味合いは徐々に弱まり、権威の象徴としての装飾へと変質していきます。これは、時代とともに社会構造が大きく変化したことが少なからず影響しているのでしょう。
西区の石ヶ元古墳から出土した金銅装単凰素環大刀(こんどうそうたんおうそかんたち)の外環には、龍と単凰の装飾が施されていました。このような古墳時代の様々な装飾品に見られる意匠は確かに所有者を荘厳に見せるものでしたが、文様が本来持っていた自然への畏敬の念は失われていったように思われます。
縄文時代から弥生時代の人々は様々な色彩や文様を取り入れ装うことで、自然の力を巧みに身に纏い、自然と供に生きていました。現在に残された資料にみる色彩と文様には多様な意味が込められ、複雑な背景が存在していたのです。
(本田浩二郎)