平成23年1月12日(水)~3月6日(日)
現在の「平野二郎國臣像」 |
西公園と大濠公園(福岡市鳥瞰図の部分) |
記念碑とは、「ある人物の功績をたたえたり、また、ある出来事や行事などを記念したりして建てた碑。モニュメント。また、比喩的に、ある出来事や時代の記念となるような物事。」(小学館『日本国語大辞典』第2版)です。注意してみると、身のまわりには意外にたくさんの記念碑があるものです。近所の神社へ行って、境内を見回してみると、必ずいくつかの記念碑を見つけることができるでしょう。実は、福岡市博物館の前庭にも、記念碑があります。平成9(1997)年に開催されたアジア開発銀行福岡総会の記念モニュメントと、平成22年に建てられた第18代福岡市長の桑原敬一氏(福岡市名誉市民、元福岡市博物館長)の銅像です。
「ふくおかの記念碑めぐり」は、身のまわりにある記念碑を紹介しながら、福岡の歴史をふりかえる展示です。今回は、西公園(福岡市中央区)の記念碑をとりあげます。
西公園のはなし
西公園の開園は明治14(1881)年。福岡市では、東公園(福岡市博多区)に次いで歴史のある公園です。同じ頃にできた日本の公園の多くが、江戸時代からの名所であったのと同様に、東公園は千代松原、西公園は荒津山という景色が良いことで知られた名所でした。「近傍数町有志者ノ請願」によって誕生した西公園は、明治20年代以降、福岡部(西新町も含む)が維持区域に指定され、「愛勝会」という公園の維持・管理のための住民団体も組織されたようです。地元有志によって、桜などの植樹も積極的に行われ、桜の名所になっていきました。
こうした西公園成立の経緯を記した記念碑が、公園内に建っています。光雲(てるも)神社(福岡市中央区西公園)境内を囲む塀の西側にある「創開荒津公園碑」(明治25年建立)と、光雲神社への石段の手前にある「荒津公園成立之記」(明治42年建立)と刻まれた碑です。『福岡県碑誌 筑前之部』(荒井周夫編 大学館出版部 昭和4年刊、以下『碑誌』と略)という本があります。筑前地域のさまざまな記念碑の碑文を集めたものです。全部で550の碑文が収録されています。「創開荒津公園碑」は、この本にも採録されています。
昭和10年代に制作された福岡市の鳥瞰図には、もちろん西公園も満開の桜とともに描かれています。よく見ると、山頂部分に3つ、光雲神社への参道の脇に1つ、記念碑のようなものが描かれています。まずは、これらの碑を訪ねてみましょう。
再建された銅像 ― 平野国臣(ひらのくにおみ)像 ―
光雲神社へとつづく参道の途中から少し坂を登ると、平野国臣像があります。平野国臣(1828~64)は、福岡藩を脱藩し、尊王攘夷運動に身を投じた人物です。
明治通り沿いの平野神社(福岡市中央区今川)は、彼を祭る神社です。境内には「平野國臣君追慕碑」、「平野國臣誕生之地」と刻まれた石碑や、彼の和歌を刻んだ碑もあります。
西公園の銅像は大正4(1915)年に建立されました。当時の銅像は、戦争中の金属回収で撤去されてしまいましたが、昭和39(1964)年に再建され、現在にいたっています。