平成23年4月26日(火)~ 6月19日(日)
図4 大内義興官途推挙状 |
図5 徳川秀忠書状写 |
図6 双鉤填墨で写された墨蹟 |
◆本物そっくりの写し
写し方は、原本を横目に見ながら写し取る臨写(りんしゃ)や、原本の上に薄い紙をおいて敷き写しする影写(えいしゃ)という方法があります。籠字(かごじ)(図1)は文字の輪郭(りんかく)だけを写し取ったものです。輪郭を縁取(ふちど)り、中を墨で塗りつぶす書法を双鉤填墨(そうこうてんぼく)(図6)といいます。影写や籠字の方法は、たんに文字面だけでなく、文字の大きさや書風までも忠実に写し取ることができます。巧みに写されたものは、本物と見紛(みまが)うほど出来栄(できば)えのよいものがあります(図5)。
◆写しの効用
長い年月を経過するうちに、消滅したり、行方(ゆくえ)知れずになったりする古文書があります。しかし、なくなる以前に写されたおかげで内容を知ることができる場合があります。
江戸時代後期の筑前(ちくぜん)の国学者(こくがくしゃ)・青柳種信(あおやぎたねのぶ)は、たびたび古文書調査を行い、たくさんの古文書を記録にとどめました。種信が自ら筆写した「大宰府御供屋蔵古文書(だざいふごくやぞうこもんじょ)」や「筥崎宮神人御油座古証文(はこざきぐうじにんおんあぶらざこしょうもん)」等の写本は、現在、原本の所在はつかめなくなっていますので、写しといえどもその史料的価値は高く評価できます。
また、原本が欠損して文面が読めなくなっても、写本によって復元できる場合もあります。大内義興官途推挙状(おおうちよしおきかんとすいきょじょう)(図4)は、原蔵者の手を離れ転々とするうちに宛名が書かれた部分が切り取られ、だれに宛てた文書であるか分からなくなってしまいました。しかし、種信が写した「諸家古文書(しょけこもんじょ) 怡土郡(いとぐん)・志摩郡(しまぐん) 中(ちゅう)」には切り取られる以前の姿で写されていましたので、元は「王丸九郎次郎殿(おうまるくろうじろうどの)」と書かれていたことが判明します。
(堀本一繁)